くすぶりしとなる 5

 

 ガネーシャへ行く最大の目的は、これまで死んだと思われていた旧グランベル王国の一貴族の潜伏が発覚したからだという。なんでも逃げ延びて身をやつしガネーシャに隠れ住んでいたようだが、ティルナノグにオイフェやシャンといった「聖戦士シグルド」の一味が潜んでいるという情報を聞きつけ先方から接触を図ったようだ。
 ガネーシャはイザークのなかでも辺境と位置されている。ティルナノグはイザークの北東に位置し、北西にガネーシャ、南にリボー。南西にイザークがあり、程よく中心にソファラが位置する。
 帝国から見ればリボーが最も帝国中心部から近く、リボーから遠いガネーシャが辺境となるようだが、ティルナノグで育ったスカサハからしてみればリボーのほうが辺境である。その疑問を過去シャナンとオイフェに投げかけると、二人とも大笑いをしてから相対的評価に意味はないのだということを教えてくれた。
「相対的な評価はろくな意味をもたないが、結果は別だ」
「どういうことですか?」
「帝国にとっては辺境の地は辺境であるゆえに重要視されていない。それゆえに本来の価値を見いだせずに守備が手薄になるということだ」
 オイフェは簡易的なイザーク全土の地図を広げてスカサハに見せる。
「イザークの主要四城の城主は誰だ」
「リボー城主はダナンです、ドズル家の。その息子ヨハンがイザーク城主、ソファラが弟ヨハルヴァです。ええと、ガネーシャは、ダナンの腹心ハロルドです」
「そう、辺境であるゆえに子供たちではなく臣下に城を任せた。腹心と噂はされるものの、辺境の地を任されるのはどんな気持ちだろうな」
 もともとはハロルドもグランベルで名の通った家系の出であり、爵位も持っているという。ダナンにいいように使われ、城を任されたとて故郷グランベルに最も遠い上、辺境などとうわさされる地である。果たしてそれは、頑強な守備や兵たちの訓練につながるものであろうか。
 それがオイフェの言い分である。なるほど、とスカサハは納得した。
 実際のガネーシャは海に近い都市である。シャナンが幼いときは海の近さを武器に発展していたと聞く。スカサハも何度か訪れたことがあるが、他の三城と同じようにイザークの民が奴隷身分に身をやつして生活している。数少ないグランベル出身が、多くのイザークの民をしいたげているのが現状である。多くの民の不満が城主ハロルドに向かっているのは間違いがないし、オイフェとスカサハが城門をくぐろうとする今、奴隷の格好をさせられるスカサハも不満がたまっている。
 一目見てグランベルの出身だとわかるオイフェがイザークの奴隷を連れていないのはおかしい、というのが世間一般の見方なのだという。奴隷制度とほど遠いティルナノグで育ったスカサハには一度では納得いく話ではなかったが、何度かイザークの中核都市を訪れて否応でも納得せざるを得なかった。
 今回の偽装も納得の上ではあるが、それでも不満は募る。
 ティルナノグの身なりでは高級すぎると、ガネーシャの城が見え始めたころに身支度を整えた。より汚いものへ、より疲れた格好へ。健康な顔色もよくないので草の汁や泥で汚した。ラナのくれたお守りの腕輪は、もともとイザークの民にお守りの風習が根付いていることから外すことはしないが、やはり汚らしく見えるように泥で何度も汚すことになった。
 ラナもきっとわかってくれる、しかし実際にラナのお守りを泥で汚す作業は胸が痛んだ。泥に浸し、水で洗い、また泥で汚す。何度も行わねばならぬ作業は、無心にならねば怒りでどうにかなりそうだった。
「そのグランベル王国の貴族にあってどうするんですか」
「まずは真偽を確かめないとな。もっとも、あちらもこちらを疑っているようだ」
「それならば、セリス様が同行したほうが良かったのではないのですか?」
「もしも罠だった場合にセリス様をみすみす危険な真似にさらしてか」
 素直なスカサハの疑問にオイフェはびしりと現実を突きつける。
「それに、万が一のことがあった時は接近戦の訓練を一番受けているスカサハ、お前が一番ふさわしい」
「……はい」
「おいおい、誤解してくれるなよ。純粋に戦力での話だ、スカサハの腕を買っての話だ」
 スカサハの返答に間があったのを敏感に察知して、オイフェは困ったように笑った。それから、と小さく口にして鬚を触る。オイフェの癖である。何度となく見てきた癖だが、スカサハは一体どのような時にこの癖が出るのかわからない。もしも見抜けるのなら、オイフェの真意ももっとわかるのだろう。
「なんでも、その貴族というのはお前の親の血に連なるものらしくてな」
「……そうですか」
「といっても遠縁のようだが。いや、なに。お前を紹介しようというわけではない。まだその情報を渡すのには惜しい相手だ。情報を聞き出してから真偽を判断しないといけない」
 スカサハは奴隷のまま貴族とやらに会うのだという。だから相手方はオイフェが連れた奴隷が自分の遠縁に当たることを知らぬまま、会談は進むのだろう。
 オイフェは慣れた様子でガネーシャの城下町を歩いていく。スカサハは少し急ぎ足で後を追った。
 会談は和やかに終わり、ガネーシャでは自由に買い物ができないスカサハに代わってみんなの分のお土産を買ったのはオイフェだった。文句を言いながら、スカサハのお土産だけでなく、オイフェからのお土産、二人分をてきぱきと買う。
 荷物を持つのは奴隷だ。スカサハは両手の布袋にオイフェが買ったお土産を仕舞いながら、先ほどの会談を反芻していた。
 和やかな会談ではあったが、オイフェは例の貴族の情報については半信半疑のようだった。一概に信じていい話ではなかったが、存在は、出自は、本人は本物だと言う。
 盗み見た貴族の顔を思う出す。遠縁とはいえ血筋だ、見たことのない自分の父に似ているところはあるのだろう。しかし聞いていた髪の色も目の色も違っていたし、記憶の中のラクチェの顔と比べてみても、スカサハにはよくわからなかった。きっと遠縁過ぎるから意味のないことなのだろう。
 見たことのない自分の、そしてラクチェの父親を考えることは何だかむずがゆくて落ち着かない気持ちになる。先日ラナの父親のことを考えたときのような、優しい、温かい気持ちが湧き上がらないのは不思議な話だ。もしかしたらラクチェに黙って父親の親族に会っているのは後ろめたいのかもしれない。帰ったらたっぷり話してやろうと、今ある記憶をしっかりと脳に焼き付けた。
 数日間オイフェはガネーシャを拠点に情報を仕入れ、食材や物資を仕入れた。その間スカサハはずっと奴隷として過ごしている。オイフェの命令口調に「はいご主人様」という短い返答以上は許されず、オイフェの許しが出るまでじっとするしかない。
 それ自体は多少苦痛ではあったが、予想しているほど屈辱的ではなかった。擬似的な奴隷だからだろうか、元々師弟関係であり親子にも近い関係である。命令されるのには慣れていたし、訓練だと思えば身動きしないことも楽しく思えてくる。
 堪えられないのは周囲からの扱いだった。わざと物をぶつけられ、陰から罵倒され、オイフェの目の届かないところで暴行されそうになる。時には大胆にも、ラナがくれたお守りを引きちぎろうと手を伸ばすものもいた。もっともどれもが見切りやすい単純な動作なので、さりげなさを装って躱すことなどスカサハには赤子の手をひねるように簡単なことだった。
 普段からイザークの民が卑劣な扱いを受けているのだという怒りがふつふつとわく。あまりに理不尽で屈辱的だ。人を人とも思わない蛮行が当たり前に行われている現状は決して許されるものではない。
 スカサハの怒りが爆発する前にオイフェはガネーシャを離れたが、かといって簡単に収まるものでもない。慣れない騎乗での旅でたまる疲労もそこそこに、野営の火の番を任されてラナのお守りを無意識に触りながらはぜる薪をじっと見つめている。
 一人で静かにしていると収まらぬ怒りが湧き出しそうになるが、かといって何ができるというわけではない。スカサハ一人ではイザークの現状を覆すことはできないし、一人二人の奴隷をたとえば買って解放したとして、何の意味もなさない。もっと根本からの問題解決をしなくてはいけない。
 それが何なのか、オイフェからすでに学んでいた。
 オイフェはスカサハに火を任せ、地面に直接横になって静かにしている、すでに眠りについているのだろう。スカサハに任された火の番の時間は半分ほど経っている。目印にしている星が大木の切っ先に掛かる時が交替の時間だ。
 星を眺めてはため息をつき、炎をにらんではため息をつく。闇に浮かぶ焚火が、スカサハの胸のなかにじっと燃え上がる怒りの炎と重なるように思う。火がもっと燃え盛ればいいのか、それとも静まればいいのかわからない、このままいかんともしがたい気持ちを抱え続けるのはとてもつらかった。
 剣を抜くと、刀身が赤々とした炎を映す。剣は、当然のことながら真剣だ。スカサハの模擬刀が壊れた日にシャナンから渡された剣である。あれから何度も練習をして、そして共に旅に出た。既にしっくりとなじみ、自らの手と同じように操ることができる。
 しかし旅に出てからは振るうことがない。こうして刀身を眺めるのがせいぜいだ。本当ならばオイフェに稽古の一つでもつけてほしいところだし、いつもならば折を見て、騎乗の旅ならば歩兵のスカサハにも騎乗での戦い方や騎兵の立ち回りを実戦を交えて教えてくれるものだが、今回は急いでいるようでせいぜいが口頭での教授だ。馬と縁の遠いスカサハには十分ためになるが、いかんせん体がなまっている気がするし、知識が付けばそれを試したくなるのが性というものだ。
 剣を握るとうずうずうとしてしまうが、夜更けであるし、なによりもティルナノグまでの道のりはまだ長い。ここで剣をふるって体力を使うのは得策でなく、寝ずの火の番とはいえおとなしく体を休めるのが第一だということは分かっていた。
 殺したくない、人を傷つけるのが怖いと思いながら、訓練は楽しいしシャナンから一本取るのは相変わらず目標にしている。強いシャナンにもオイフェにもあこがれを抱くし、母やシグルド達の英雄譚を聞くのは楽しみだ。
 スカサハはゆっくりと長く息を吐いた。
 頭の中が混乱している。殺したくない、剣をふるうのは楽しい。イザークの現状を打開したい、今の自分では力が足りない。傷つけたくない。しかしこれは戦いだ。父のこと、遠縁の貴族のことはすでに脳裏から追いやってしまった。
 落ち着かない。考えようとしても、何から考えるべきなのかもわからない。ぐるぐると取り留めもないことばかりが頭をよぎり、結局それだけで疲れてしまう。
 とうとう今回の旅が、オイフェの同行であるとはいえ何のためにここにいるのかわからない、というところまで思考が暴走する。考えても無駄なのは分かるのだが、それでも、もしもあの貴族とあっていなかったら、奴隷に扮していなかったら、この旅程分の時間訓練にうちこめていたら、何か一つは解決できていたのではないかと思ってしまう。
 そんなことはない、と、わかってはいるのだが。
 誰かに話してみればいいのだろうか。しかしオイフェに話すには整理されていな過ぎる。ラクチェでは余計にまぜっかえされてしまいそうだ。デルムッドは整理され過ぎている。セリス、は、もっとセリスのほうが大変な悩みを抱えているのだろう。レスターか、ラナか。
 ふと、オイフェに出された宿題を居間で一人悩んでいた夜のことを思い出した。ラナがお茶を淹れてくれたというだけの、些細な出来事を。とくに何があったというわけではないが、さりげない優しさがラナは得意だった。いるだけで、穏やかになれるさりげなさだ。
 剣を鞘に仕舞い、スカサハはまたラナのお守りを指で撫でた。ゆっくりと呼吸をつづければ、少しずつだが落ち着けるような気がして、また薪を見つめた。
 ――低い枝のこすれる音が聞こえたのは、ちょどその時だった。
 鳥にしては、音の位置が低すぎる。獣にしては、音が複数すぎる。そして何よりも、獣でも鳥でもありえない、確かな金属音とひそめる複数の息がかすかながらスカサハの耳に届いていた。
(帝国兵か、盗賊か……!)
 おそらくは盗賊だろうと、祈りにも似た気持ちで断定する。帝国兵ではありえない、いや、ありえてはいけない。まだここで、こんなところでオイフェと二人で帝国兵に見つかるわけにはいかないし、ガネーシャでは二人ともとてもうまくやっていた。反帝国勢力だなどと、誰も気が付きはしないはずだ。
(だから――)
 きっと、盗賊に違いない。
 そうだとしても相手は複数で、武装していた。スカサハは気づかないふりをしながら仕舞った剣をいつでも抜けるように準備する。眠るオイフェに低い声で呼びかけた。
「もし、もし、ご主人様!」
 名を呼ばなかったのは、それでもやはり帝国兵ではないかと警戒したからで、しかし緊張していたのか思った以上に通る声が出てしまった。おい、と茂みの中で声がする。
「気づかれたぞ」
「早いとこかかれ!」
 おお、と敵の叫びとともに茂みから男たちが飛び出してきた。正確な人数はわからないが、二人より多いことは間違いがない。心臓が早鐘を打っている。スカサハは剣を抜きざま、茂みから出てきた敵に鞘を投げつけた。飛び起きたオイフェも慌てて剣を抜く。
「なんだ」
「わかりません、賊かと――」
 距離が近い。ろくに話もできず、雄叫びを上げながら剣を振り下ろす敵に、スカサハは強く柄を握り、何度もシャナンと繰り返した訓練のように両手剣を振り上げた。

 

4

6