それから定期的に肌を重ねるようになったが、ラナとの関係は大きく変わることはない。
ラナには王妃としての職務が与えられた、社交や国内の文化情勢をほとんど一任している。特に社交などはこれまでアレスが不得手としていたもので、デルムッドと彼が指名した有能な女官たちがその仕事を任されていた。それをすべてラナが引き継いだが、似たようなことをこれまでも行っていたという。王妹から王妃へと立場が変わったこともあって、さほど変わりがないといいのだけれど、と小さく呟いてたものの声音には自信があふれていた。
自信のある女というのはそれだけで評価に値する。慢心していなければさらにすばらしいし、傲慢でないなら申し分がない。ラナには少なくともその欠点が見られることがなく、アレスにとって評価に値する人物になった。
なによりもしなだれかかる素振りがないことがいい。夜こそ妻として務めを果たすものの、その前もその後も甘い言葉を欲しがるでもなく、証だと宝石や宝飾品を欲しがるでもない。もっとも金で買った女でもなく、愛情やら恋情でつながる関係でもない。なるほど政略婚とはこれほど割り切れるものかと感心すらしてしまう。わがままといえば、町へ忍んで出てみたいということくらいである。
アレスは町の様子はさほど興味がない。興味がないといいきるのに多少の語弊があるが、実際に町へ入り、町を見て感じることには興味がない。デルムッドの篩を通じ入ってくる情報をしれれば十分だと思っているだけである。
それでは駄目なのかと問うと、他人の目を通さずに自分の肌で感じたいのです、という。
「それは駄目だということだろう」
「嫌だということです」
「変わらん」
デルムッドに聞いてみるものの、ラナの、新たな王妃の人気というものは早々に消えるものではないようで、いまどんなに忍ぼうとラナの存在はたちまち知られるだろうとのこと。
新王に敵意ある不届きものや野党がいないとは言えず、良い標的になろう王妃である、暫くはおとなしくしているように伝えてくれ、と言われた。
デルムッドから伝えるべきだ、と反論するものの、王妃と幼馴染とはいえ王の臣下が王妃と親しくするのは不敬だよ、と笑われた。首を切られる趣味はないし、アレスの臣下だとしてもデルムッドの敵ではないと言えないからね、と。
今更なにをと一笑に伏せたが、ほとんどを一任する右腕ともいえる男で唯一信頼のおける男だと思っている。それゆえにデルムッドに羨望が集まるのかもしれない。それを苦にするような男ではないだろうし、懸案とするアレスでもない。有能と思えば重宝するだけで、いくらデルムッドだろうと無能であれば臣にしなかっただけだ。それを理解できずにうるさく言う輩が多いのだろう。大変なことだ。
そういえばラナは婚姻前にも町へおりたいと言っていたことを思い出した。何がそんなにも興味があるものかアレスにはわからない。息抜きでないということは、前回からの度重なる要求で感じてはいるものの、町へ出たからと言って何か変わるものであろうか。
そのうちにアレスが折れた。
「忍びでなくてはだめなのか」
しぶしぶ尋ねた。アレスにとっては城を出ることは面倒な仕事の一環である。アレスが城を出ることも決して多くはないが、ラナがどうしてそこまで町を見たいというのか理解ができない。
一途で頑固な女。
数日たってラナは、忍びでなくてもいいです、と答えた。寝室の上で伸びたラナの髪が広がる中で答えるもので、アレスは何の話かはじめわからなかった。悪態をつきそうになって、さほどラナと話す時間があるわけでもないことに気が付いた。
日中は顔を見ることも少ない。そのほうが気分が楽であるし、そもそも存在を思い出さぬことも多い。
機会がなかったのであろう。
「……町のことか」
念のために確認すると、そうです、とラナは頷く。体を起こし、白い胸元までシーツで隠しながら器用に乱れた髪を手櫛でとかす。
「わかった、日取りの希望はあるのか」
「……何もない日がいいです」
意図がわからずに首をかしげると、ラナはええと、と言葉をつづける。「祭日であるとか記念日であるとか、何か催しのある日ではなく、何もない、普段のアグストリアの町を見てみたいのです。まだ一度も……降りたことがありませんので」
そうか、初めてだったのか。ラナがこの地へ来てからこの方、ラナはこの城のことしか知らぬのだ。この城の中と庭、門と塀の中だけ。同じ時間だけアレスも門の外へは出ていないということになるが、アレスはその前に十分というほど外に出ていたし、アグストリアの地を平定してから王となったのだ。この地はいわばすべて回ったも同じである。
しかし忍びではない、それは公務ということだ。それでもいいものか。
「ああ、では日取りは後で告げさせよう」
これで話は終わりとばかりにアレスは組んだ腕を枕に目を閉じた。ラナが身支度する音がする。以前は事が済めば自分の寝室へ律儀に戻っていたようだが、女というのは支度が遅いようで、ぐずぐずといつまでも支度の物音がうるさくすぐに眠りにつきたいアレスの癇に障る。最近はアレスの気分にもよるが同じ寝台で寝かせることも多い。今日はさほど気分も悪くない、ここで寝ろ、と目を開けずに言い放った。ラナははいと小さくこたえ、アレスの肌に触れぬ距離を保ってシーツへもぐりこむ。
意識が途切れる前に、ふと思い出してアレスは目を開けた。気の置けない戦友でもある臣下の首を斬らせる趣味はない。
「……日取りは、デルムッド以外に告げさせる」
言い終わればまた眠りにつく。夢うつつで、困惑したようにラナが返事をするのを聞いていた。