アグストリア式婚姻の儀は
後日行われるが、それでも一連の茶番を通じてラナはめでたくアレスの妻となり、ヴェルダンの王妹がアグストリアに迎えられた。王城までの街道に民が笑顔で立ち、配られた花を撒いている。アレスとラナを載せた馬はゆっくりと城の門をくぐった。
婚姻の儀式が終わるまではそれぞれ別の部屋で生活する、顔を合わせないというのがアグストリアの方式である。全く面倒くさいものだが、それでもいつものように仕事をこなしていけばラナがいることなど意識もせずに日々は過ぎていくものである。
自分の婚姻に関してだというのに、いまだにアレスは実感もわかねば揺れ動く感情もなかった。ラナはどうだか知らない。結局あの茶番で決められたセリフ以外、ラナとは口をきくことがなかったのだ、どうせ同じだろうと高をくくっている。
日々アレスはデルムッドにラナの様子を報告させている。
デルムッドはラナと旧知ということもあり、今は元来の仕事であるアレスの補佐より、この地になれないラナの世話をすることが多くなっている。
アレスが指示したことでデルムッドも快諾したものの、優秀な右腕がいなくなったのはアレスにとっては多少痛手である。
まだ正式に夫婦にもなっていない女の私生活を覗くようであまりいい心地はしないのだが、デルムッドという片腕を渡しているのだ、そのくらいは容赦して貰わねば気が済まない。
さてデルムッドが言うには、ラナは昔よりも少しやせたという。背は伸びていないが髪はだいぶ伸びていてびっくりした、ティルナノグにいたときからラナはいつも短めの髪だったからいったい何があったんだろう、とのこと。
またはラナはアグストリアの民衆に興味があるようで、たまに城を抜け出して町へ行きたいと言っているようだ。勝手に行けと答えたが、デルムッドは馬鹿みたいに笑って否定した。今や城下町を中心にこの婚姻が話題の中心のようで、いったい誰がどこで描き止めたものかわからぬが、王妃ラナの似顔絵が人気なのだという。もちろん王アレスのものも人気であるらしい。
だから抜け出すのは無理だろう。ラナはどうやら城を抜け出したいのではなくて町を見たいようだし、気分転換でもなくて色々と考えがあるみたいだよ。わからないけれど、とのこと。
わからないなら言うな、と文句も出るものだが、デルムッドは慣れたもので文句を笑って受け流す。デルムッドがこんなにもよく笑う男だと知ったのは臣下にしてからだ。陽気というよりも、単に笑うだけ。
それはそうと、儀式のときに着るラナのドレスが仕立てあがったという。もともとヴェルダンにいる時分からアグストリアの仕立て屋が作っていたもので、今回行ったのは着丈や身幅といった調整であるらしいが、裁縫のことなど一切わからぬアレスは言われるがままに承諾のサインを押して最終的にいくらの金を払うのか計算させただけだ。風習でデルムッドもラナのドレス姿は見ていない。侍女の話ではそれはそれは綺麗だったそうだ。
婚姻の儀式はとうとう明日である。
アレスはそれまでに何度か礼服の試着を済ませ、儀式の説明を受け再び長々とした誓詞を覚える羽目になってしまった。
礼服に剣を佩くがミストルティンは祭壇に飾るのが習わしだという。つまり使えもしない儀式用の剣を佩けというのだ。憤慨したものの口では誰にも勝てないアレスはおとなしく偽物の、ゴテゴテと飾りばかり重苦しい剣を佩くことになった。
もしも敵襲があればいったい何で応戦すればいいのかと考えてしまう。
もっとも、アレスがアグストリアを制定してからここまで王城に敵襲もなく、そもそも敵と言っても旧帝国時代の残党はろくな強敵がおらず山賊や盗賊といった類のものである。考えるだけ無駄なのは分かっているが、染みついた癖というのはそうそう抜けるものではない。
おかげで重心のおかしい祭事用の飾り剣に気を取られながら婚姻の儀式に臨むことになってしまった。
剣は左側に刷いてあり、その反対側にラナが立っている。ドレスは真っ白で長く、どうやら凝ったデザインなのだろうがアレスにはよくわからない。宝石やら生花やらが飾られているということは分かる。
確かこのドレスはラナの希望がいくらか入っていたと場違いに思い出した。珍しく婚約中の書簡のやりとりでラナがいくつか言及していた箇所がそれだった気がする。
すべてデルムッドや担当官僚に丸投げしたものだ、アレスには全く分からないし好みもない、と。いろいろデルムッドも口出しをした気もするが、どの口出しがどの事象に対してだったかまで覚えてはいない。しかし受け入れる入れないは別にして、口出しをされなかった項目がなかったように思うからきっとこのドレスもデルムッドの意見は入っているのだろう。
白く長く、慎み深く花嫁を隠すドレスだ。首元から肩を覆い、胸元から足先すべてを覆う。むき出しの二の腕は柔らかさを見せながら肘よりも長い手袋ですぐに隠される。
伸びたのだといった髪の毛は、頭の上でまとめているのか、これまた先日のように幾重にも紗に隠されてわからない。しずしずとアレスの横を歩くラナの顔がどこについているのかわからぬほど、この日にラナにかけられた紗は厚い。アレスの腕を取るラナの手先に力が込められていたのはそのためなのだろう。
祭壇の前で言われた通りの誓詞を口にし、ラナのそれを聞き、ひたすら二回目の茶番が終わるのをアレスは待っていた。退屈な表情は見せるなとデルムッドにきつく言われているが、当のデルムッドは離れた場所に立っている。アレスの表情の一つや二つは見逃すこともあろう、と気を張ることもなくぼんやりと向き合ったラナを眺めていた。
うつむいているため判断は難しいが、まっすぐ立ったとしてもラナの頭はアレスの喉元にも届かないだろう。ずいぶんと小さい女だったのだといまさら知った。仕方がない、同じ軍に所属していたとはいえ交流がなかったのだ、婚姻を決めてからも手紙のやりとり以外の交流はろくにない。ほとんど初対面にも近い関係なのだ。
婚姻の儀式には解放軍時代の同志が何人か来ていた。来られなかった者も代役を立てている。見知った顔は少ないが、デルムッドに言わせれば代役は解放軍に所属していた者がほとんどだという。
儀式が終わった後に開かれた宴で、立場上以前と同じ態度でとはいかないもののそれなりに親睦を深めた。
セリスの姿を探してしまうのは、国政云々ではなくラナのことが気になったからだ。
セリスは参列の意を長い手紙を添えて返していた。アグストリアとは父親の世代から交流があり文化的にも似通ったもののある国だ、そして現国王同氏は盟友でもあり無二の親友である、幼馴染が嫁ぐにはこの上ない幸福な相手であるし喜ばしいことである、などと鼻で笑いたくなるような祝いの言葉だった。
同じような祝福の手紙はどうせラナの手元にも届いたのだろうと思うと、ラナの現在の気持ちはわからぬがずいぶんと残酷な男だと考えてもしまう。
セリスと直接会うのは解放軍の解散以来だ。別れたときよりも成長した、というのが一番の印象だった。思えば解放軍を率いていた時にセリスはまだ10代だったのだ。それから権威ある地位につき歳を重ねた、整った精悍な顔立ちに隠しきれぬ熱気を瞳に移してアレスに声をかけてきた。
アレスは一体セリスにどう映っているのだろうか。不思議とこれまで考えもしなかったことが頭によぎる。
セリスはアレスとしばらく話し込んだ後、椅子に腰かけほかの客人の相手をしていたラナに話しかけた。やあ久しぶりだね、ラナ、おめでとう。当たり障りのない会話の後、セリスは腕を軽くラナの背に回した。
「ラナのことをずっと妹のように大切にしてきたからね。レスターと同じくらいにとても喜ばしいよ」
ラナはありがとうございます、と微笑んでセリスと別れた。ラナの白い手袋に包まれた両腕は控えめに自らに添えられ、決してセリスに触れることはなかった。