だっていまさら 2

 アレスの部屋は階下だという。
「珍しいな、ほとんど上の方にあてがわれてるんじゃないのか」
 特にミストルティンを持つならなおさら、万一敵襲にあった時にも安全な上階の部屋を与えられているはずだ。ヘズルの傍系であるデルムッドですらそうなのだ。
 一歩先に階段を降りるラクチェは、楽しそうにデルムッドを振り返った。仕入れ先は例にもれず幼馴染たちだろうが、デルムッド以上に豊富なアレスの情報をラクチェは持っていた。アレスの部屋まで先導しつつ、それを教えてくれる。
「アレスさんが仲間になった時のアレ、知ってる? 踊り子」 アレも踊り子も知らないが、緑の髪の少女なら見かけた。そのことは尋ねると、そうねきっと、とラクチェも少し曖昧な返事。
「あたしもあったことはないんだけど。リーンっていう子の部屋に入り浸ってるんですって」
 すごいわよねぇ、と自分で言い出したことなのに頬を赤くするラクチェの、わずかに染まりかけた耳朶をぼんやりと見つめてデルムッドは頷いた。
「……なるほど」
 アレスの部屋自体あるのだろう。いくら懇意の相手の部屋に入り浸るからとそのあたりを怠るようなオイフェではない。
 リーンがアレスの部屋に来たがらないのか、アレスが呼ばないのかはわからないが、まあ、アレスにとっては相手の部屋のほうが居心地がいいのだろう。
 緑の髪の少女を思い出す。顔は分からぬが、そっとアレスの顔色をうかがう仕草、髪を撫でられて醸す幸福な感情。
 純朴そうに見えた少女だが、踊り子なのか、と感じてしまうのは偏見だろうか。ティルナノグ、いや、イザークにそのような文化がなかったから、どことなく違和感があったのだ。
「ねえ、そういうことよね」
 リーンなる少女のことを考えていると、ふと、ラクチェが顔を寄せてささやいてきた。まだ頬が赤いのは、ラクチェはラクチェで別の考え事をしていたということだろう。
「ん?」
 とぼけた顔で目を合わせると、す、と視線がそれる。いつの間にか足を止めていたラクチェを追い越すのも何なので、デルムッドは同じ段で足を止めた。
「入り浸ってるって、つまりは、二人」
「まあ恋仲とか、……いい関係なんだろうな」
 そうよねぇ、と珍しくラクチェの語尾が弱い。何を考えているのか、と笑いをかみ殺して頭を小突いた。
「別に、珍しいことじゃないだろ」
「でも、今まであんまりいなかったから、なんかびっくりした」
 仲のいい男女は確かに少ないわけではない。むしろ多い。ラクチェとデルムッドも、はたから見れば仲のいい男女だ。最近仲間になったフィーとアーサーも、本人たちは否定しているがどちらかと言えば友人以上の関係のようにも思える、というのがラナの談。
 だか確かに、ラクチェの言うように身近に恋人として過ごす二人がいたことはない。仲がいい、は、友人としてだ。フィーとアーサーだって、盛り上がっているのは外野だけかもしれない。
 まあそれ相応の年で、デルムッドもいろいろ思わないでもないけれど。
「――ドズルの二人は?」
 思い出したのはドズル公家の兄弟である。外見はよく似ていた。実戦に向け鍛えている、斧兵としての逞しい体つき。ドズルの血筋の焦げた茶の髪、はっきりとした骨格。しかし内面は、面白いほどに違う。詩歌を諳んずる兄と武術一直線な弟。
 それでもさすが血のつながりというものか、ふたりでもってラクチェに熱い言葉を贈ったというのは、イザークを出る前の大変に盛り上がった話題のはずだ。
 最近はそういえばとんと話題を聞かない。周囲の熱が冷めたというのもあるし、アレスとリーンという話題性にあふれた二人が参入したというのが一番大きいのだろうけれど。
 騒がしいラクチェのことだからすぐに返事か、最悪拳でも飛んでくるのではと思ったが、何もない。
 見慣れた黒髪を見下ろすと、わずかに頬を染めてラクチェは言葉を探すように口元を動かしている。
「……何だよ」
「そ、それはこっちのセリフよ」 
 予想外の反応にデルムッドも出方に困ったが、さりげなく流すことにした。
「はいはい」
 両手を軽く上げてさっさと階段を降りると、数段遅れでラクチェが駆け降りる。そのままの勢いでデルムッドの背中に突っ込むと、馬鹿、と小さくつぶやいて追い越して行った。
 強かに打たれた背中の痛みに悶絶しながら、廊下を急ぐラクチェに恨みがましい目を向ける。
「おいラクチェ」
「馬鹿デルムッド、部屋がわかんないんだから先に行ったって仕方ないでしょ!」
 まだその頬は赤くて、不器用なラクチェなりの照れ隠しなのだろうが、とはいえ背中は痛い。
 どこが墓穴だったのか、いや、ドズル兄弟のどちらと何があったのか、とラクチェにばれないように肩をすくめる。
 一番縁遠いと思っていたのに、まさかの伏兵だ。いや、だから何というわけではない。はずである。痛む背中に手を当てられず、代わりにデルムッドは胸のあたりに手を置いた。



 ああ、と呼応するアレスは案の定、お気に入りの少女を腕の中に収めたままの対応である。呆れたくなるのはデルムッドが悪いわけではないはずだ。
 リーンの部屋は、下の階では珍しく一人部屋であった。大抵は下の階になればなるほど大所帯の部屋だ。当然アレスに配慮したものなのだろうと思うのだが、それならばいっそ上の階のアレスの部屋にまとめてしまえばよっぽど色々有効活用できるのではと、アレスを目の前にしながらも違うことを考えてしまう。
 目に毒なのだ。
 緑の髪の踊り子。なるほど、純朴そうな雰囲気はたしかにあった。顔、というか存在だけ見れば純朴そうで、ラナに引けを取らない素直でよさそうないい子だな、とおもう。
 服装がデルムッドには少しばかり過激だったというくらいだ。少しばかり? まあ、見えを張って少しと言い張りたい。
 慣れていないところに露出の激しい服だとか、むき出しの長くて白い脚とか、そういうのは目のやり場に困るのだ。そして従兄たる人物がずっと放さないでいるなんて事態は、もう、どこを見て何を考えればいいのかわからなくなるのも当然だろう。
 とはいえラクチェは、赤い頬は部屋に入る前からずっとそのまま変わらず、対応もデルムッド以上にまともである。
「へえ、じゃあアレスに助けられたんだ」
「そうなの、でもあなたたちの助けがあったって聞いてるわ」
「ない、俺一人で何とかできた」
「ふふ、アレスったら強がっちゃって」
 片時たりとリーンから手を放そうとしないアレスを前に、どう知れラクチェはこうも平然としていられるのかわからない。これでは階段でどぎまぎさせた逆転劇ではないか。いや、デルムッドは赤面なんてしていない。はずである。
「ねえちょっとデルムッド、デルも何か言いなよ」
 これじゃあまるであたしがアレスとリーンに会いたかったみたいじゃないの、とラクチェが口を尖らす。その口元を摘んでやろうかとじめっとした視線を向けたくなるが、流石に人前なのでやめておいた。代わりに、その通りだろうと胸を張る。
「うふふ、デルムッドさんとラクチェ、とても仲がいいのね」
 リーンがさりげなくアレスの腕に手を絡めながら微笑んだ。顔立ちだけ見れば幼いのに、ふとした瞬間が何とも言えない色気があって本当にデルムッドとしてはいたたまれないような気分になってしまう。
「そんな、アレスとリーンのほうがすごく仲がいいじゃない」
 ラクチェの頬がまたわずかに朱を帯びる。そんなに照れるならこの話題に話を向けなえればいいのに、と思いながらもデルムッドも頷いて賛同を示す。
 リーンはアレスの顔をちらりと見上げて笑う。
「そうね、でも、うふふ」
 なにが「でも」で何が「うふふ」なのかわからないが、ラクチェはラクチェで満足そうな表情だし、アレスは言わずもがな。一人居心地が悪いのはデルムッドだけなようだ。
「ラクチェ、そろそろ行くか。あんま長居しちゃ迷惑だろ」
 デルムッドとしてはある程度アレスと親交を深めたと思っている。お互い自己紹介はしたし、デルムッドがアレスの血縁だということも理解してもらえた。加入の顛末もわかったし、リーンといかに仲がいいかということも、十分すぎるほどわかった。
 似ているのは髪の色くらいなもので、あとは、目の色も同じではないし、まあ似ているとして身長くらいだろうか。悔しいことに体つきはアレスのほうがしっかりしている。詳しい目鼻立ちは、まあ、あとでラクチェがたっぷりと教えてくれるだろう。
 そうとくればもうこの部屋に来た目的はすべて果たせたと同じなので、いたたまれない部屋から解放されたというのが本音である。
 血縁同士というよりも男同士の付き合いは、こんな部屋のなかよりも戦場でが一番分かり合えるというものだし。お互いに面識さえできてしまえばどうとでもなる。だから一刻も早く。落ち着きたい。解放されたい。
 緑の髪のリーンが悪い子だというわけでは全くないのだ、むしろいい子ではあるし、とっつきやすいのは確かだし、この過激な衣装を見慣れれば普通に接することだってできるのだ、きっと。ただそれは今すぐではないので時間がほしい。
 な、と催促すると、一度じっとアレスの顔を見て、そうね、とラクチェは頷いた。



 またね、と笑顔で手を振ってくれたリーンはやはりいい子なのだろうと振り返しながら思う。手なんか振らなくていい、と言わんばかりに無表情を貫いていたアレスはとっつきにくいと評されるだろう。
 そこに関してはラクチェとリーンのおかげか、デルムッドにとっては楽しい相手だった。いかにも誤解を招きそうなやつだ、と思っただけだ。
 ふむ、と談話室に戻りながら腕を組むと、ラクチェが後ろからグイとその腕を引っ張る。
「なによ、鼻の下延ばしちゃって」
「は?」
「リーン見て、デレデレしてた」
 口がとがっている。今度こそ摘んでやろうと手を伸ばすと、軽い動作で避けられた。
「そんなことするか。むしろ目のやり場に困って禄に何も見てやいないよ」
「うわぁ、リーンのことそんな目でみてたの、やらしい」
「ラクチェ、お前な」
 デルムッドだって言ってしまえばお年頃なわけで、あられもない姿(に思える)のリーンをじっと見るよりいいのではないか。純なのだ、認めたくはないが女性の柔肌なんぞ、慣れはしない。
 あまり考えないようにしていたつもりなのだが、ラクチェと二人っきりになったからだろうか、気が抜けてしまったようで自分でも顔がほてるのがわかる。
 なぜ今更、目の前にいるわけでもないのに照れねばならないのか。
「ちょっと、ほんとにどうしたのよ。デルムッドってばそんなむっつりだったの」
「むっつりって……。違うよ、なんか今更、きっと気が緩んだ」
 なんとなく気恥ずかしくて、ラクチェの前を数歩先に歩く。いくらラクチェがすばしっこくても、脚の長さが違うのだ。すぐにラクチェは小走りになってまとわりついてきた。
「そんな隠さなくったっていいじゃないの」
「いいや隠すね、ずっとネタにされそうだ」
「しないから。しないって」
 ラクチェがなおも腕を引く。とうとう根負けして足を止めた。ぐらつくラクチェをさっと支えて、
「わかった、されたらラクチェがドズル公子の話で赤面したこと話題にするからな」
 人差し指を突きつけると、ぽかんと口を開けたラクチェの頬がまた徐々に染まっていく。
「ラクチェこそ、また……」
「違う、これこそ違うから!」
 からかおうと思ったが、ラクチェは必死な顔でブンブンと両手を振って否定する。とても強く否定するので、逆にドズル公子のことが不憫に思えてくるようだ。
「ほんと違う!」
「じゃあなんでそんな毎度毎度照れるんだよ」
 必死すぎる反応はかえって答えに困る。何かあってそれを隠したいだけじゃないのかと思いながらも、ラクチェがそんな器用なことができるものか、と思いもする。素直で嘘が下手なラクチェを信じたいけれど、だからって何もないのに顔を赤くする意味も分からない。
 だからこそ、顔を赤くする何かがあったのだと思わざるを得なくて。
 何か。たとえば、あの、アレスとリーンのイチャイチャ具合とか。
 リーンの幸福そうな表情とか、笑顔だけで湧き出る色気とか、絡めた手とかがデルムッドの脳裏に浮かんでは消えて、それをラクチェが、と考えてしまうと。
「……まあ、別に」
 なんだか、なんといっていいかわからない胸のつかえと痛みがあって。
「いいんだけど」
 あまり感情をうまくこめられない、棒読みのセリフでラクチェの頭をぐしゃぐしゃに掻き乱した。
おわり
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