騒がしいやり取りと共にアレスは一人の少女を伴って加入するとことになった。
ぼんやりとデルムッドはそれを眺めている。中二階から見下ろすアレスは、中庭でセリスやオイフェと話す間にも緑の髪を揺らす少女を腕の中から放そうとしない。仲睦まじいことだ。
アレスと少女の身に起こったことはなんとなく耳にしている。正式な加入手続きの後、きっとオイフェから教わるのだろう。
アレスはデルムッドの従兄である。母の異母兄の子。確かにアグストリアの特徴である金の髪は二人とも同じだ。しかしそれ以上はよくわからない。まだまともに顔を見てもいない。
デルムッドにとって、初めて会う血縁である。妹はレンスターに保護されているというが、会える見込みはない。
これまで育ったティルナノグでは、たくさんの家族に囲まれていたが、血縁は初めてだ。どれだけ自分と似通うものがあるのだろうか。
いまのところ髪の色しかわからない。今後ゆっくりと知っていくことになるのだろうか。
一つ大きく違うとわかるのは、デルムッドには仲のいい幼馴染の少女はいても、肩を抱いて守る相手はいないことだ。
緑の髪の少女がアレスの顔色をうかがうたびに、アレスの大きな掌が緑の頭を撫で、ときには優しくキスをする。
ひと時流れる幸福そうな空気を、デルムッドは何とはなしに見下ろすのだった。
さて、デルムッドの初の血縁が仲間になったという話題は幼馴染たちの間で瞬時に駆け巡った。聖戦士の血は惹かれあうとはよくいうものだけれど、まさかそんな偶然があるものだなんて。驚いたのか単なる興味なのか、当の本人のデルムッドよりも幼馴染たちのほうが何だか浮足立っている。
こっそりとアレスの様子を覗き見する者もいれば、デルムッドに直撃する者もいて。
まだデルムッドがアレスと話していないにもかかわらず、だ。
幼馴染たちの親密さはうれしいことだが、たまには一人でいたいこともあると思うのだ。本を読んでいたりとか。オイフェさまに課題を出されているときとか。
談話室、だれでも自由にいられる部屋で複数人掛けのソファに本を片手に座っている状況では、そう思われないのかもしれないけれど。
「相変わらず耳が早いことで」
ただでさえ大きな目をくるりと一回り大きくして、いかにも興味津々でござい、といったラクチェが背後に立つのがわかって、何か言われるよりも先にデルムッドは先制攻撃。
とはいえ、これくらいでは攻撃とみなしてくれないのがラクチェである。
「そうかな、あたしだいぶ遅い方でしょ。剣の訓練で一人で盛り上がっちゃってたから、遅くなっちゃって。ごめんね」
「そこで謝るのがわからないけど」
「デルムッドのことだもん、もっと早く来てほしかったでしょ」
いったいラクチェは自分をどう認識しているのかと、怪訝な顔で見上げると、ソファの背もたれを乗り越えてデルムッドの隣に座った。
「何読んでるのよ、ん、貴族名鑑? なんでまたそんな」
「課題。オイフェさまの」
数十日前から引きずり続けている課題であることは黙っていたけれど、なんだか都合のいいように解釈したラクチェはウンウンと訳知り顔で頷いている。
「そうよねぇ、アレスさんって世が世なら王子だっていうしねぇ」
そういうラクチェは世が世なら王の従妹であるし、デルムッドだって王の従弟だ、今はそういう世じゃないか。なんだかんだセリスさまが帝国を倒しちゃえば迎えるのはそういう世なのだ。それが目的ではないけれど。
そもそも何が「そうよねぇ」なのかは全く分からない。アレスの立場や王位なんて関係なく、オイフェに課せられた課題はティルナノグから続く教育の一つで、それはラクチェも似たようなものを受けていたはずだ。よく課題から逃げる姿を覚えているけれど、やるかどうかは別だけれど、出されてはいたのだ、皆平等に。
そういうことが頭の中を駆け巡るけれど、デルムッドは懸命にも黙って肩をすくめた。ラクチェがそういう話に興味がないと知っているから。
「で、どうしたんだ」
「どうしたって。デルムッドの顔を見に来たのよ」
「そうだよな、初めて顔を合わせるんだもんな」
揶揄と共に本でラクチェの視線を遮ると、んふふ、と覚えきれない名前の洪水を飛び越えてききなれた笑い声が漏れてくる。濃い青の表紙にラクチェの声は似合わないと観念して本を下ろした。笑みを浮かべるラクチェは、猫のような大きな目を歪めて楽しそうだ。
「アレスさんと顔が似てるのかしらと思って」
「会った?」
「あたしが? アレスさんと? いいえ、なんであたしが会うの」
会ったはデルムッドでしょう、と勝手に決めつけて、で、似てた、なんて聞く。
「会ってない。まだ遠目で一回見ただけ。そんな探し求めてた訳じゃあるまいし、血縁ですよって言われてホイホイ会いに行くもんじゃないよ」
「そういうもん? でも自分と似てる顔がいるとしたら、見てみたくない」
「たとえばスカサハみたいに、か」
もう、とラクチェは頬を膨らませてデルムッドの肩を小突く。力の加減なんてしてくれないから、予想していたとはいえ上体は傾くしそれなりに痛い。
「そんなに似てるのか」
どうせ、幼馴染の誰かがそう評したのだろう。レスターだろうか。いや、もっと言いそうな幼馴染がいる。普段は清純ぶっているが、盟主セリスだ。あの人はそういう人だ。一度ツボにはまるとどうにも抜け出せない不思議な笑いのセンスの持ち主で、そうなったら幼馴染みんなに言いふらさないと気が済まない。
ねえ会った、アレス王子。似てるんだよ。デルムッドに、ほら、アレス王子はデルムッドの従兄じゃないか。似てる。ふふ、見てごらんよ、会ってみたほうがいい。似てるから。
とかなんとか、笑いながらヒィヒィ苦しそうに肩で息をするセリスの姿は容易に思い浮かぶ。
ラクチェは懸命にも黙って笑みを深めるだけだった。
仕方なしに息を吐く。
どうせいつかは挨拶くらいはいくべきだ。それが今、ラクチェを伴っていこうと後日一人で行こうと変わりはしない。
オイフェ様からの課題だという貴族名鑑の読み込みと、付随する宿題はどうせ焦げ付いてるものだ。オイフェ様からの宿題はほかにも山ほど出ていて、幸いそちらは順調に進んでいるし。
楽しくて読んでいるわけではない。暇つぶしに進まない文字列を解析していただけだ。要は時間つぶしの口実だ。
それに、アレス。
どうにもこう、気が進まないのはあの傍の緑の髪の少女の存在が気にかかったからだ。肩を抱き、頭を撫で、キスをして。いかにも仲が良かった。なるほどあれがいちゃいちゃというやつで、あれがいわゆる恋人同士っていうやつなのだろう。
どうにも見かけたときにずっと一緒にいるせいで、ニコイチのように思えてしまう。個別で行動することがあるのだろうか。そう思えば思うほど、気後れする。
正直に言えば「いいなぁ」だ。
デルムッドだっていろいろ持て余し気味な年頃のわけで、オンナノコに興味がないわけじゃない。機会と出会いがないだけで。
うらやましい。顔なんて見てないけど、きっとかわいいのだろう。別に恋人がほしいとかその緑の髪の子に(頭しか見たことがないし)惚れたとかいうわけではなく、そういう相手がいるということ自体が、なんとなく特別なことのように思えて。
結果、いいなぁと。
加えて、同世代の女性には、ラナとラクチェくらいしかろくにしゃべらない生活だったから。緊張もする。何を話すべきなのかもわからない。
そこでラクチェを引き連れていけば、アレスの傍にいるだろうあの緑の髪の少女がいたとして、少なくとも場が凍り付くようなことはないだろう。ラクチェがいるのだし。
「わかったよ、いくか。今」
「今。いいじゃない。ついて行ってあげる」
んふふ、とラクチェはまた鼻を鳴らした。いかにもラクチェは付き添いの形で返事をするので、口車に乗せられたとはいえ笑ってしまう。
「いやいや、ラクチェが確かめるのについて行ってやるってことだからな」
「あら、違うでしょデルムッド。ひとりで行ったってどこがアレスさんの顔に似てるのかわからないから、あたしが付いてって教えてあげるの」
押しつけがましい口調にもかかわらず嫌な気分にならないのがラクチェのいいところだ。デルムッドは馬鹿みたいに笑って、いつの間にか立ち上がっているラクチェの後を追った。