琥珀色にいい感じに蒸された紅茶が、コポポ、と聞きなれた音で見慣れた白いポットから使い慣れた白いカップへとそそがれる。
ラナは少し楽しそうに、話を聞きたげに、それでもすまし顔で数人分のお茶を淹れて、お茶請けをひょいひょい、自分たち分とラクチェの分とそれぞれお盆に分けてくれる。そこまではいつもの光景だ。
いつもじゃないのは、ラクチェがお茶を楽しむ相手がヨハルヴァっていうことだ。しかも、二人っきりで。
いいのだ。二人っきり。水入らず。
望むところだ。
お茶を淹れるのはラナが得意だから、厨房で、淹れるだけ淹れてあげる、配膳はお任せするわよって。
望むところだ。
はい、じゃあね、とラナはさっさと自分たちのお茶を持って去って行ってしまった。ラクチェたちはラクチェたちで、ラナたちはラナたちで楽しむ。それは確かにラクチェもラナも望んだことだけれど、なんだかこう、改まっていざその場、ってなってみると、すごく気恥ずかしいものがあるのだ。
なんでだろうね。
別に何も恥ずかしいことをしようっていうわけじゃない。ただ単に、お茶を飲みましょうっていうだけ。なんとなく気恥ずかしく思っちゃうのはあれかな、あんまりラクチェが、お茶とかなんとか、上品で貴族然とした文化がいまいち得意じゃないからかな。
ティルナノグで、エーディンに仕込まれたけれど。
優雅なお茶会。優雅とか上品とか、あんまり得意じゃなかった。馬鹿みたいに騒ぐお茶会なら大好きだし、馬鹿丸出しでがばがば飲んでいいならお茶だっておいしく思うけれど。
貴族然とした、いわゆるお茶会ってやつは。お茶一杯を飲むにもルールがあったりマナーがあったり。ラクチェ、肘を付いてはいけませんよ。ラクチェ、ソーサーを。ラクチェ、そんなにお菓子ばっかり食べちゃダメです。ラクチェったら、もう。
そんな思い出があるからか、ちょっとドキドキしてしまう。別に、相手は気心知れたヨハルヴァなんだけど。いつも馬鹿みたいな話ばっかして、馬鹿みたいにゲラゲラ笑って。子供みたいに遊んで、時々、びっくりするほどかっこよくまじめな顔して、ラクチェをときめかせてくれちゃったりなんかして。
なんだかそうやって、すごく自然体のまま自然体のラクチェを好きでいてくれるから時々ふっと忘れるんだけれど、ヨハルヴァはあれでいて、貴族様だったのだ。帝国貴族様。その出自がどうのこうのと言いたいんじゃなくて、エーディンと同じ立場だったってことが、ラクチェが時々思い出すとひえっておもうこと。
育ての親にこんなこと言っては申し訳ないけれど、どうにも苦手だったのだ。上品な、麗しい、美しい、体面的な、そういう、貴族然としたものが。だからオイフェに何を言われてもシャナンに怒られても頑として逃げてきた。なんだか性に会わないんだって。
でもここにきて思い出す。ヨハルヴァは貴族様で、お茶会なんてものを日常的にやってる立場で、マナーとか何とか、叩き込まれてるのが当然で。
そんな人を前にして、ラクチェ、初めて気が付くのだ。
失望させてしまったらどうしよう、マナーのなっていない、子どもよりもみっともない飲み方やらなんやらで、ヨハルヴァに嫌われてしまったらどうしたらいいんだろう――。
「――チェ、ラクチェ? おい、どうした」
考え事に夢中になって足が止まってしまっていたらしい。厨房に、ヨハルヴァが迎えに来てしまっていた。正気に戻った隙に、お盆に変に力が伝わってしまって、カシャンと揺れる。
「あっ」
「……っぶねー、大丈夫かよ」
素早い動きでヨハルヴァがお盆に手を沿えた。それでも少しお茶はこぼれてしまったけれど、ほんの少しだ。問題ない。
「ごめん。なんか考え事しちゃってたみたい」
「茶を持ってくるにしちゃ遅いからよ、なんかあったかって心配したぜ。なんもなくってよかった」
ヨハルヴァはそう言いながら、貸せよ、とスムーズな動きでラクチェからお盆を受け取った。ほらいくぜ、と言いながらすでに歩き出している。
「いいわ、ヨハルヴァ。わたし持てる」
「いいよめんどくせぇ。さっさと行こうぜ。お、この菓子、なんだこれ。ケーキか?」
ラクチェは遅れた数歩を小走りで追いついた。相槌を打ちながら、ラナの説明をなんとか思い出す。たしか今日の茶葉がどこどこ産だったから、それに合わせてお茶請けが。
「ええと、お茶の産地に合わせた、地方のバターケーキだって?」
説明を受けたときから上の空だったから、解説も上の空になってしまう。でもヨハルヴァは気にする様子もない。
「ふう、そうなのか。じゃあ美味いんだろうな。しかしラクチェと茶会とか、なぁ……」
その代わりに出てきたのはボヤキだった。語尾はぼんやりと消えて行く。
「ん、なによ、それ」
しっかりと聞き逃さなかったラクチェは、頬を膨らませて高いところにあるヨハルヴァの顔を見上げながら睨みつけた。ヤベ、と雄弁に表情が失言を認め、バツの悪そうな顔になった。きっと頭でも書きたいんだろうな、といつもの癖が思い浮かぶ顔だが、あいにく両手はお盆でふさがっている。
「いや、ラクチェと茶を飲むんが嫌なわけじゃないんだよ。その、ほら……茶会とかっていうきちっとした奴、俺は得意じゃなかったからさ。兄貴は相変わらずあんなだったからよくやってたらしいけどよ」
もごもごとずいぶん歯切れの悪い言葉だったけれど、聴いてラクチェは胸の奥に暖かいものが広がってきた。
「マナーだのルールだの、そんなものより……なんか、なぁ」
バツが悪そうな顔のまま、ラクチェをちらりとみる。その瞳に、満面の、しかし少し意地悪そうな笑みを浮かべて、ラクチェはそうね、と笑った。
「じゃあさ、お茶会なんかじゃなくって、そのあたりでお茶にしましょうよ! マナーとか無視して、原っぱでもいいわ、石垣でも。お茶とお菓子と、ね、おしゃべり楽しみましょ!」
ヨハルヴァは一度驚いたようにラクチェの顔を見つめ、歯を見せて笑った。