あなたとお茶を

ヨハン+アルテナ


 一通りの鍛錬を終え、さっと汗を拭き清めて今日は終いとする。同じ槍兵とはいえ、地上で馬に乗って機動を確保する槍騎士とは多少鍛錬に取り入れる要素が違うものだと解放軍に入ってようやくアルテナは悟った。
 いま竜騎士はアルテナ一人で、似たように天馬騎士たる存在が一人いるけれどもなかなか一緒に鍛錬する機会もなく、話すことも少ない。
 どうやら天馬騎士たちは歳の近い少女たちと集まってお茶会なるものを開いているらしい。いわゆる社交界の、舞踏版ではなくお茶版なのだろう。
 アルテナは苦手だった。
 誘われてもついあれこれと都合をつけて断ってしまう。集まる人員に問題があるとかではなく、たんにアルテナがそう言った場所が苦手なのだ。意味のないおしゃべり、食べるだけ飲むだけではない楽しみ。何気ない会話で腹の底を探り、情報を集め、交渉の種を蒔き摘み取る。それが理解できなかった。
 トラキアは元々社交的な国ではない。そこで竜騎士として育ったアルテナに、諸外国の子女としてのマナーを求めてほしくないというのは本音のひとかけらだ。
 残りは、若いテンションについていけない。
 加えて、何をどう話していいか分からない。
 要は嫌なものから逃げているのだ。よくないと分かってはいるものの、今は少しだけ目を逸らしたいと思ってしまう。受け入れなくてはいけない現実が多いからこそ、一人で整理したいときが今なのだと、勝手に自分を甘やかす。
 さて槍騎士相手に、主にレンスターの出身の兵たちと鍛錬を重ねるのは少しずつ慣れてきた。それでも「トラキアの姫」を嫌厭するものも少なくなく、アルテナも仕方がないと弁えている。
 逃げたいときに逃げることも必要だと自分が自分に許しているから。
 弱さもたまにはいいものだと思いながら、そうすると運悪いときには一人で鍛錬して終わりということもある。稀に異種武器でもと鍛錬の申し出を受けることもあるが、それはかなり稀である。仲が良ければあるのだろうが、アルテナの性格上、推して知るべしである。
 今日は一人で鍛錬を終えた。基礎の復習とはいえしっかり行うとなかなか疲れも出るものだ。甘やかしついでになにか甘いもの、果物や瓜などを食べようと決めた。
 そうと決まれば口の中は甘味を求める口なのだが、帰り支度のアルテナを呼び止める声が聞こえた。唾を飲みこむ。
「――あなたは、確か」
 出入り口の近くで解放軍では珍しく騎士の礼をアルテナに向けるのは、斧使いの騎士だった。
「もう終わりですか」
「ええ」
「そうでしたか。一度手合わせを願いたいと思いまして。たまたま今日お一人だと聞きつけたので馳せ参じましたが」
 栗色の髪に鍛えた体。汚れの少ない軍服。手に持つ斧はよく手入れがされていて、清潔感すらうかがえる。言葉の偉い眉方や立ち居振る舞いから、ひとかどの人物なのだろうと考える頃合いにようやくぼんやりと思い出してきた。
 斧といえばドズルである。グランベル帝国の公爵家にて、イザークを支配していた一家。その公子だったと思う。ドズルの家には栗の髪が多いという情報にも符合する。
「ドズル公子……」
「ええ、私はヨハンと言います。どうぞそのままヨハンと、アルテナ姫」
 人好きのいい笑みである。鍛えられた体をしていなければ、細腰の貴公子にも思える顔つきだ。アンバランスさが、どこかアリオーンを思い出させる。
「わかりまし。わたくしのこともアルテナで結構です。ヨハンさん、申し出はとてもうれしいのですが、また後日でもよろしいでしょうか。今日はもう、見ての通り終いですの」
 もちろんです、とヨハンは笑みを浮かべたままである。しかしどことなく汲み取りづらい違和感がある。体の正面で斧を支えに胸を張った。その貴族然とした態度だろうか。
「手合わせはまた後日お願いに上がりますが、実はアルテナさんと話をしてみたいと持っておりまして。この後のご予定はいかがですか」
 ご予定。果実でも食べに行く予定である、とは言えない。社交が苦手とはいえそれこそ本当に雑な対応では後々ファンやリーフに迷惑がかかる。口の中がいかに甘いものを求めていようと、断る理由にはならなかった。だが賛同するには初対面で気が引ける。フィンやナンナでもいてくれればまだ気が休まるのだが。
「……」
 悩んでいると、ああ、とヨハンは少し相好を崩した。
「重く考えないでください。ほんの少し、お茶でも飲みかわしながら話をしてみたいと思っただけなのです。アルテナさん、あなたに一度、私の兄ブリアンとの縁談の話が合ったのはご存知でしょうか」
 寝耳に水である。大方上がったとしてもトラバントがつぶしていたのだろうけれど、たしかにアルテナの年齢を想えば、縁談の10や20は舞い込んでいただろう――今となっては行き遅れの年齢であるから。
「申し訳ありません、知りませんでしたわ」
 ヨハンは軽くうつむきがちに口の端を引いた。兄に思うところでもあるのだろうか。そういえば、ドズル公子が二人いるのは知っているが、長子はどこなのだろうか。
 自分の状況を受け止めるのに必死で、あまりにも周囲の情報を仕入れていない。フィンやナンナに頼りきりになっているということだろう。アルテナを甘やかしていたのはアルテナ自身だけではなかったということか。
「ええ、ヨハンさん、ぜひお茶でも。ですが二人きりというのはいささか周りの目が……ナンナを誘ってもいいでしょうか」
 気が付かず、無粋を、ご無理を申し上げてしまって、とヨハンは詫びの口上を述べる。アルテナは軽く首を振った。いつまでも甘えすぎているのは自分のためではないし、ヨハンに下心のないことは通じた。思えばもとは解放軍と敵対していた身、話すことは多かろう。
 ナンナの都合がつけばいいのだけれど、とアルテナは忙しいナンナの事を思った。