あなたとお茶を

レスター×リーン


 ミレトスにある都市の一つに解放軍は滞在を決めた。ミレトスの要、自由都市ペルルークにほど近いが、あまり栄えていないため帝国の影響はさほどでもない。都市解放は比較的容易だった。
 次はペルルーク戦だと皆に緊張が走る。だが今はその準備を行うべきだ。防具を整え、武器を整備する。備える時期だ。
 丁度替えの弓弦が切れてしまったレスターは、情報を仕入れついでに街に買い出しに行くことにした。市井での話は貴重な情報だ。何気ない事から都市解放への重要な手掛かりに繋がったことも少なくない。
 あらかたペルルークに関してはこれまでの街々でも話を聞いているが、この街は今までに比べて最もペルルークに近い、なにか別の情報が得られるかもしれない。
 解放軍の人間であると分かるように、目印になるセリスの髪と同じ色の布を腕に巻いておく。深めのレスターの髪とは違う青、透き通るような鮮やかな青は、暗黙の目印になっていた。
 いざ出発と宿営地を出ようとすると、ちょうどリーンがアレスと何やら話し合っていた。この二人が仲がいいのは知っているし、アレスとナンナがいい関係なのもデルムッドを通して知っている。知ってはいるものの、なんとなくムッとして声だけかけることにした。あえて足音を立てて歩き、程よい場所で声をかける。
 こちらを向いたアレスは、どことなくほっとしたように見えた。
「なんだレスタ―、街に行くのか」
「ああ、買い物がてら、話を聞きに行こうかと思って」
「やったあ、じゃああたしも連れていってよ、レスター!」
 ぴょんとリーンが跳ねた。頭の上で一つに括った緑の髪がふんわり揺れる。
 リーンは戦闘員ではない。街は解放軍の占領下にあるとはいえ、帝国勢力が完全に排除されたわけではない。非戦闘員は単独行動しないように、と言われている。
 ペルルークに居座る帝国軍は強大で、互いに緊張も走っている。下手に非戦闘員がうろつくのは挑発ととられかねない。不用意な行動はつつしむべき、というのが上層部の言い分である。
 リーンもそれをわかってねだっているのだ。本来ならば目と鼻の先。ちょっと行ってちょっと帰ってきたって、何事もなければほんの短時間で終わるものなのだが、何があるかはわからない。用心するにこしたことがない。
「アレスに連れて行ってもらおうとしただけど、嫌がるの。酷いよねぇ、レスター」
「酷くない。俺は別の用事があるんだ、いつまでもリーンのわがままに付き合わないぞ」
「そういって、二回に一回くらいは付き合ってくれるじゃない」
「そんなに多くない、三回に一回くらいだ」
 傍から聞いていたら痴話喧嘩だ。レスターは少し考えて肩をすくめた。
「三回に一回も十分多いと思うよ」
 アレスは味方を得てしたり顔である。ほらな、とリーンを見下すように鼻を鳴らした。リーンはレスターの腕に縋り付く。
「レスター! そんなこと言わないでよ、アレスが付き合ってくれなくなっちゃう」
 ブンブン振られるリーンの頭を、アレスの大きな拳が優しく叩いた。「馬鹿言ってないでさっさと行け、レスターに断られる前に連れてってもらえ」
 レスターとしては断るつもりなんて一切ないしその予兆もないけれど、一度頷く。
「そうだね、一緒に行こう」
「やったあ、レスターってば流石、やさしい! 嬉しい!」
 腕にまとわりついたまま器用にくるりと回って、じゃあなと片手をあげて逃げるアレスにべぇと舌を出した。可愛らしいしぐさに耐えられなくてレスターは声を出して笑った。
「あ、ちょっと。なんで笑うの、レスター」
「いや、可愛いなと思って」
 まあ、とリーンは大袈裟に両手を口元にあてた。大きく動く口を縦に開けて、ちょっと恥ずかしそうに微笑む。腕が離れたことは少しだけ寂しかったけれど、そんな表情もリーンらしい。
「レスターっていつも嬉しいこと言ってくれるのね」
「……そうかな」
 レスターは軽く首を振った。ねえ、と早速先へ向かうリーンは構わずに楽しそうにしている。歩くというよりもステップを踏みながら道を進んでいく。足音が伴奏に聞こえるような、華麗な踊りだ。
「今日は何を買いに行くの?」
「そうだね、先ずは弓の弦。あとは小刀のキレが悪くなったから、その場で研いでもらえればお願いしたいと思ってるんだ」
「武器屋は結構噂集まるものね」
「うん、その通り。あとは……リーンはどこか行きたいところある?」
 水を向けてみると、ええ、とリーンは瞳を輝かせた。
「パティがね、この辺りの人に飴菓子もらったんですって! 丸くてかわいかったの。もしもお店がこの町にあれば、行きたいなと思って」
 食料品か。それもまた物流の中心である。行く価値はあるだろう。ふと、そういえば最近品を切らしている物があるのを思い出した。
「そうだ、茶葉を買いたいな」
「茶葉?」
「そう、お茶の」
 レスターの常飲物である。わりと品質や産地にこだわる、レスター唯一の楽しみといってもいいものだった。目当ての物には金を惜しまないこともあって、分不相応の道楽だと幼馴染たちにはからかわれている。でも好きなのだ、仕方がない。
 もっとも今回はそこまでこだわって買いたいわけではない。良いものがあれば、というくらいで、本命はペルルークなのだ。厳しい帝国の制限中であっても、自由都市ペルルークは独自の貿易ルートを秘密裏に保っていると聞く。
 それでも茶葉のストックがきれている今、何かいいものがあれば、とワクワクするのだ。
 浮かれるレスターに、リーンがぽつりとつぶやく。
「レスターって、お茶が好きなのね」
 これまでとは打って変わった沈んだ声だった。
「――リーンは、そうでもなさそうだね」
「うん。なんかね、あたしにはよくわかんない」
 よくわからない。その感覚が、正直に言えばレスターにはわからなかった。
「美味しく感じないっていうこと?」
「うん、美味しくない。好きな人の前ではっきり言っちゃうの、悪い気がするけど。嫌な思いさせちゃったらごめんね、でもなんか苦いし、匂いはいいのに苦いし。よくわかんないの」
 ふうん、とレスターは腕を組んだ。
「いや、まったく構わないよ。きっとリーンが好きでも俺は嫌いっていうものはあるだろうし。それくらい気にしない――それより、もしも苦いのが嫌だって言うなら、甘くしちゃえばいいんじゃないかな」
「ええ、そんなこと、しちゃっていいの?」
 ぽかんとリーンは口を開けた。
 お茶といえばそのまま、砂糖も入れずに飲むのが一般的なのだ、許される甘みと言ったらお茶請けの甘いものだけ。とはいえ、いつだってお茶請けが出るとは限らないし、そのお茶請けが甘いものとは限らない。
「良いと思うよ、好きに飲んだほうが、お茶だって」
 そう思うのは母エーディンの教えがあった。実際に、グランベルのお茶が口に合わないというシャナンに、あれやこれやと手を加えもはや色すら違う、原形をとどめていない状態のお茶を提供していたことがある。
 母曰く、皆で同じものを楽しみたいということだった。手を変えたそれが同じものなのか幼いレスターはわからなかったが、母に言わせれば同じものだ。
 結局シャナンは口に合わないなりにお茶を飲むようになったし、それを見ていたレスターは、どうであれ楽しむのが一番と学んだものだ。
 一般的とか普通とか、そういうことよりも、楽しめる余地があるならば楽しむべきでは、と思うし。
「それでも美味しくないなって思うなら、飲まなくっていいと思うけど。もしリーンが、少しでも楽しんでみたいなって思うなら、協力するよ」
 リーンはずっと驚いて口を開けたままである。
「レスターって、……すごいこと考えるのね。甘くしちゃうのか、なるほどぉ。あたし、そんなこと考えたことなかった」
 あまりに驚いたのか、すっかり足が止まっている。感心してもらえるのは少し得意になるし悪くない気分であるが、あの軽やかで華やかなリーンの足取りが止まるのは少しだけ残念だ。
 レスターはとりあえずリーンの隣で足を止めた。横に並ぶと、きっとアレス程ではないのだろうけれどもリーンが上を向く。大きな瞳がレスターを見つめてくれるのは、胸が熱くなる。
「凄いのね、レスター。嬉しい、あたし、ちょっとやってみようかな。そのときレスターにお願いするからね!」
「もちろん、いつでもどうぞ」
 リーンは唇をキュッと釣り上げて、目を細める。うれしい、と笑うように声を上げて、くるる、と回った。
「ねえ、なんでそんなに思いつくの?」
「思いつくっていうか……」
 くるくる、とんとん、リーンの軽やかな歩みが、レスターの高揚する鼓動とともに音楽を奏でるようにも思える。
「誰だって、好きな人と同じもの楽しみたいだろ」
「え?」
 ニコニコとリーンが振り返った。聞こえていないのか、それとも聞き流されてしまったのか。どちらでもいいか、とレスターは思う。リーンが楽しそうで、レスターも楽しくて。
「あのさ、アレスによく頼んでるみたいだけど、外に行きたいとき、俺に声かけてよ。これからは俺も声かけるよ。だから一緒に行こう、今みたいに」
 リーンは大きくくるりと回って、レスターの横へ着地した。そして腕を絡ませる。上目遣いにレスターを見上げて、うれしい、と声に出さずにゆっくりと唇だけ動かした。