お茶会、なんていう大層なものではないけれど。ちょっとした晴れ間のみえた午後に、広間に集まってお茶を一杯飲みながら休憩するのが、いつの間にか、女性陣に広まった習慣になりつつある。
発端は覚えてないけれどラナとラクチェだったかな、と考えれば思い浮かぶ。幼馴染のこの二人は、部屋も同じなのに何かと一緒にいることが多くて。
飽きないのかな、飽きないんだよねえ。
二人がお茶を飲んでるところにパティが居ついて、フィーを引き摺り込んで、とか、そういう流れだったような気もするんだな。
でも今は、ラナもラクチェもいなくても行われていて。
お茶っていいよねぇ、とほぅと息を吐いてパティはカップから口を放した。
「ふふ、パティさん、幸せそうなお顔」
口火を切ったのはナンナで、あまり口数が多くない彼女からの思いがけない一言にパティは大きな目を少し動かした。
「幸せ~。今日はなんてったってナンナの淹れてくれたお茶だしね! ナンナって、お茶入れるのすっごく上手だよねぇ」
部隊が違えば、顔見知りでもあまり接点がないもの。ナンナとパティはお茶会で顔を合わせたりはするけれど、あまり話したことのない間柄で。
でも嬉しいな、と思う。
こうやって会話ができるの、すごくいい。
よく兄はパティがおしゃべりだと眉をしかめるけれど、パティにとってお喋りは潤滑剤なのだ。仲良くなるにはそれが一番だし、集団なんて、仲良くなきゃやっていくのは超辛い。
そして本当にナンナはお茶が入れるのがうまかった。好んで淹れたがるのはラナだけれど、言っちゃ悪いが平凡だ。いやごめん、当のパティは飲めるお茶を淹れるのに精いっぱいだから人のことをああだこうだ言うのは間違ってるけどね、ナンナは本当においしい。これ本当に同じ茶葉、と訊いちゃったくらい。
残念なことにナンナがお茶を淹れる機会はそうそうないから、巡り合えるのは幸運なことで。
そりゃ、幸せの溜息もついちゃいますって。
「そうよね、ほんと。ナンナのお茶ってすごくおいしい」
呼応するようにナンナの向かいでお茶を飲んでいたフィーもにっこり。二人から褒められて思わずナンナ、いつもお堅い表情が緩む。
「そんな、恐れ多いわ」
この会話、一度や二度じゃないんだけどいつでも謙虚なナンナがすごい、とパティは内心思うのだ。自分だったら絶対木に登ってる。登るでしょ、そりゃ。
「ナンナって、トラキアでは結構逃亡生活って聞いてたけど、そういえばどこでこんな美味しいお茶の淹れ方覚えたの?」
ごもっともな質問をしてみれば、ナンナは飲みかけの紅茶が半分は言ったカップを揺らして、くるくる器用に水面を回す。
「あの、母が。いえ、父、フィンから習ったのですけれど」
ナンナは少し言葉を詰まらせ、パティとフィーの顔を交互に見た。なんだか大きな青い瞳が照れている。
「母が、お茶にはうるさかったそうなんです。フィンは、それは頑張って母の口に合うお茶を淹れられるように尽力したと」
「へえ、じゃあフィンさんもお茶入れるの上手いんだね!」
はい、とナンナは頷いてカップに口をつける。パティの分の紅茶はもうなくなってるけれど、いい香りがここまで届くような気がしちゃう。
「いいなぁ」
知らず、パティは口にしていた。ティニーも。ナンナも。なんだかんだ言って、みんな、親から、何か。
ちょっとだけ、しんみりしてしまう。勝手に、パティが一方的にみんなに抱いちゃう嫉妬。ナンナには関係のない話だって、分かっているけど。ポロリとこぼれた言葉はもう取り返しがつかなくて。
「――パティ?」
聞こえてなかったのかな、ナンナ、どうしたのって首をかしげてくれて。少しだけしょげてしまったパティを、心配してくれているみたい。
「うらやましいよね、パティ! わたしもそう思うわ、こんなにおいしいお茶をいつでも飲めるなんて」
からっと笑ってくれたのはフィーだ。にっこり、太陽みたい。部隊は違うし、立場も全然違うのに、なんだかんだ仲良くしてくれる友達の助け船に、こっそりとパティは目線でお礼を告げた。
いいのよって、ウインクのお返し。
「ほんと、いいなぁ!」
「ふふ、食い意地が張ってるんだから」
「失礼ねフィー、あたしが張ってんのは食い意地じゃなくて飲み意地よ!」
始まった漫才でさっきまでのしょんぼりしたパティはどっかに消える。ナンナも安心したようでウフフ、と笑って。
心配かけるなんてあたしらしくなかったな、と心の中でこっそり反省しても、やっぱり。ちょっとうらやましい気持ちはいつまでも消えないでいた。
次の日は、なんだかぐずついたお天気になってしまった。こういう日は、なんとなくの習慣でお茶会はない。いま滞在しているのは占領したお城だし、つまりは屋根があって天井があって、お茶会の場所は雨には濡れないんだけど、なんとなく。
雨の日は、晴れた日にはないお仕事が待っているからかな、と軒下に荷物を運びながらパティは額をぬぐった。うっかり荷物を外に出していた兵士のお手伝い。
小雨とはいえ、しっかり降る雨はじっとりと髪の毛をしみわたって顔の方まで来てしまう。
そろそろやめにしておかないと、こっちが風邪をひいてしまいそうだ。
振り返れば、野ざらしになっていた荷物もだいぶ少なくなった。あとは元々荷物を管理していた兵士たちだけでも何とかできるだろう。
大丈夫、と大声で訪ねると、大丈夫です、パティさん、お手伝いありがとうございました、と良い笑顔で返事が返ってきた。
人の役に立つのは好きだ。といっても大した技術もないから、できるのはちょっとしたことだけ。でもパティのちょっとしたことが誰かを笑顔にするなら、それは良い気持ちだ。
さて。
ちょっとの時間だったとはいえ、髪の毛もびっしょりならば服もだいぶ湿ってしまっている。パティは歩兵で、もともとの出自もよくないから雨に強いマントや服はそんなに持っていない。今日も厚手の服を着てみたけれど、残念なことにしっかりと色が変わっていしまった。
もったいないけれど、着替えなくては。雨に濡れただけで汚れてはいないから、乾かせばまたこの服は着られる。そんなおいそれと交換できるほど服を持っているわけではないけれど、背に腹は代えられない。
ちょっと急ぎ足で部屋に戻ろうとした、その時だった。
「あ、パティ」
かけられた声は、なんとなく、今はやだっていうタイミングだった。だって、こんなヌレネズミ。みすぼらしい恰好じゃあ恥ずかしいでしょう。
聞こえなかったふりして言っちゃおうかなって少しだけ頭の片隅で考えたけれど、やっぱりそこは素直に脚を止めてしまう。
「はあい、デルムッド! どうしたの?」
結構近いところから聞こえたと思った声は、廊下の奥の方からわざわざ張り上げてくれたらしくって。
走って、パティのところまで。いいのに、わざわざ。
こういうとき、パティはどんな表情で待てばいのかわからない。あたしも駆けってデルムッドの近くまで行った方がいい? そして胸にでも飛び込んじゃおうかしら、感動の再会、みたいに。もちろんそんなことはしないけれど、デルムッドの胸板の広さとか受け止める腕の逞しさとか考えるのは、ちょっと頬が緩んでしまいそう。危険。
「どうしたの、そんなに走ってきちゃって。お急ぎの用事?」
だからいつもの通り、ちょっとお茶目な悪戯好きパティちゃんのふりを装う。実際に悪戯は好きだし茶目っ気もあると思うけれど、いつもどんな感じだったかなんて、すぐにわからないくなるから。デルムッドの前だと。
「いや別に」
デルムッドはパティと反対に、あまりへらへら笑ったりしないのよね。
「緊急の用じゃないけど、パティを見かけて。呼び止めてごめん」
いいよ、とパティは満面の笑顔で首を振った。笑顔になるのは仕方がない。だってデルムッドに話しかけられて笑顔が出てくるのは仕方がないことなんだ。自然の摂理っていうやつで。
話しかけてくれるのはうれしいし、こうやってお話を続けたい気持ちはあるんだけれど、雨に濡れた服は悠長に時間をくれはしない。肌に触れるところからひやっと、触れないところはじわじわと、パティの体温を奪ってしまって。
でもそんなことでこの時間を邪魔されたくないなと思ってしまうパティは、こっそりばれないように、せめて腕に張り付く服だけはって抑えようとした。
デルムッドの視線が、パティの手を追いかけるのがわかってしまう。ああもう、そういうつもりじゃなかったのに。
「外で仕事してたのか。ごめん、タイミングが悪かった」
「そんなことない、大丈夫よ」
あわてて両手を振ると、ほら、と差し出された白い手巾。
「俺ので悪いけど。着替えたほうがいいんじゃないか」
「ん、ありがと。そうしようかな」
そっと手巾を受け取った。デルムッドの。手巾。悪いわけなんて、ない。
腕についたうっすらとした水滴をぬぐって。少し悩んで、頬にも当てた。あたたかな温もり。洗いたてなのかな、清潔な香り。頬が上気しそうだけど、雨にぬれたほてりだとごまかそう。
「で、ほんと用事、無いの」
水けをふきふき、パティは半歩先にパティの部屋に向かうデルムッドの後を追う。横に並んで、背の高いデルムッドを見上げるみたいに。
一緒に部屋まで行ってくれるのに、用事がないなんてこと、あるだろうか。そもそも、用事がないのに、いくらパティとはいえ女の子がお着替えする部屋に一緒に向かうって、どうなんだ、とか。
パティ、それだけで瞳をくるくるさせてしまう。
「無いっていうか。昨日ナンナからパティの様子が変だったって聞いたから」
昨日。ナンナ。
「ああ。――えっ、デルムッド、心配してくれたの?」
「えって何だよ」
なんだって、感激だ。嬉しさで、愛おしさだ。ナンナが何を言ったのかわからないけれど、そんな、お茶会でのちょっとした一コマなのに。ほんと何でもないタイミングの落ち込みだったはずなのに。
敏感に感じ取ってくれたナンナも。その時に詮索しないでいてくれたナンナとフィーも。なんでかそれを聞いて、心配してくれるデルムッドも。
「パティちゃんカンゲキ~! っておもったの! えへへ、ありがとね、なんてことなかったんだけど」
くるる、と華麗にターンをしてみせた。リーンみたいに踊り子の華やかさはないけれど、盗賊の軽やかさならもっている。水気を含んだ重たい三つ編みもくるっと回る。
不格好なターンだって、喜びを表すには十分だ。
「ナンナが母上の話をしたんだってな。そのせいでパティが気を悪くしたんじゃないかって心配してた」
デルムッドは、パティのからかいにも喜びのターンにもさほどペースを変えない。揺るがない人だから気になったんだけど、変わらないものなんだなぁと、深い声に耳を傾けながら内心心は躍ってしまう。
「俺も、親と一緒に暮らさなかったろう。親代わりはいけど。それで、なんどもオイフェ様に両親の話をねだったんだ」
「そうなんだ」
そこでパティの部屋についてしまう。どうするのかなと足を止めてデルムッドを仰ぎ見ると、少しだけ口元で笑って、扉を開けてパティを中に入れてくれた。当然デルムッドは外にいて。
「オイフェ様は普段お堅いけれど、結構昔話が好きな人だから。言えば、絶対にパティのご両親の話もしてくれるだろうし、よかったら行ってみないか」
「着替えたら?」
「そう、着替えたら。オイフェ様はこの時間、部屋にいるはずだから」
「もしかして、デルムッドも一緒に行ってくれるの」
「パティが嫌じゃなければ」
「嫌じゃない!」
むしろ、嬉しい。一緒にいられるのもうれしいし、こんな細やかな気遣いもうれしい。わかってもらえたのもうれしいし、デルムッドの時間を、自分のために使ってくれるのが、すごくうれしい。
そして少しだけ、やっぱりオイフェ様って怖くてお堅い気がするから、一人で聞きに行くのはどうにも申し訳ないから。
「まってて、すぐ着替える」
「ゆっくりでいいよ」
扉を閉めて、ぴょん、跳ねあがって寝台にダイブした。乾いたシーツの感触が気持ちいい。
昨日はちょっとだけモヤモヤした、あの感じ。みんなが知っている、親の記憶。受け継いでる物。パティは何も持ってないって、悲しかったけど。
誰かが知ってるんだって、それを教えてくれるんだって。
それもうれしいし。
デルムッドと、同じなんだって。親の記憶がない。親と、一緒に育ってない。喜ぶようなことではないけれど、それでも同じものがあるって嬉しいと、パティは満面の笑みで跳ね上がった。