あなたとお茶を

アーサー×ユリア


 ん、と小さな掛け声とともにアーサーが勢いよく伸びをした。ぐぐ、と組んだ両手を伸ばして背を反らす。ユリアはぼんやりと顔を上げて逆光のアーサーを見つめた。
 窓一杯の午後の日差しを背中から浴びたアーサーは、宙を漂う埃の粒とともに紫銀の髪がきらきら輝く。図書室の中は薄暗いから、アーサーの周りだけが光り輝いて見える。
 一度視線を外し、手に取っていた本を棚に戻した。
「なかなか見つからないな」
「そうですね」
「結構な時間探したよなぁ」
 飄々とした口調のアーサーはぐるぐる肘を回し、首を回した。同じ姿勢でいたから凝ってしまったのだろう。その気持ちはユリアにもよくわかる。
「すみません、つきあわせてしまって」
 こみあげるのは申し訳なさだ。あるかどうかも分からない一冊の本を探すのは愚かなことだろうけれど、ユリアはなんとなく必要な予感がしていた。
 光魔法の本。
 光魔法の魔道書ではない。光魔法についての本である。風や炎といった、使用者の多い魔法に関しては学問が盛んで体系的な書物があるという。
 では光はどうか。
 ユリアが光魔法にこだわるのは、そこに自分の出自があるのではないかと思ったからである。根拠はない、なんとなく、そんな気がするだけなのだ。
 アーサーに尋ねると、勉強はあまり得意ではないと言いながらも昔父親に教わったという魔法の知識を教えてくれた。そして、もしかしたら大きな城ではその手の本が置いてあるかも、と提案してくれたのだ。
 一人で探せるといったユリアに、言い出したのは自分だと協力してくれたのはアーサーである。しかし、やはり自分の問題のことなのにアーサーを丸一日拘束してしまったのはどうにも申し訳ない。
 それでも甘えてしまったのは、こんな自分勝手な理由でも一緒にいてくれるアーサーとの時間がうれしかったからで。
「いいよ、俺がやるって言ったし」
 アーサーは朗らかに笑う。「それに、ちょっと気になってた本も見つけた気がする」
 首をかしげると、俺も探したい本があったんだ、と脇によけていた本を持ち上げた。革張りの古い本で、逆光のなかでは見せられた表紙の文字が読めない。ユリアは曖昧に頷いた。
「だから付き合ったっていうか、一緒にやらせてもらってたってこと。ね、そろそろ休憩しよう」
「はい、そうですね」
 目を細めてもアーサーが探していたという本が何かは分からなかった。ユリアが声をかけるまでアーサーは本のことなんて一度も口にしなかった。探したいというそぶりもなかった。アーサーの優しい嘘だろうか、それとも本心なのだろうか。どうであれ気遣いに感謝するばかりだ。
「――で、いいよね? ユリア」
「あ、はい、ええ」
 パッと顔を上げた。本のことに気を取られ、聞き逃してしまっていた。それでも頷くと、アーサーはにっこり笑う。
「じゃあ決まりだ、本を濡らすと困るから中庭にしよう。東屋で。待ってて。すぐに行くから」
 大切な部分を聞き逃してしまった気もするが、分かりましたと大人しくユリアは東屋へ向かった。
 まだ傾く様子のない太陽がいっぱいに東屋を照らしている。座り心地がいいとは言えない椅子ながら暖かさの中で、根を詰めて本を探し疲労がたまってしまったのか、なんだか眠くなってくる。アーサーのことを考えながら、うとうとしてしまっていた。
「――リア、ユリア? 大丈夫? 部屋に戻ろうか」
「あ、アーサー……」
 揺り動かされて目覚めると、心配そうなアーサーが目の前にいた。心地のいい香りが鼻孔をくすぐる。
 まだ日差しは暖かい。そう長く眠ってしまったわけではないようだ。うたたねてアーサーを待ってしまっていたのか。
「ごめんなさい、すこし……暖かかったものだから。でもすっきりしたわ」
「無理はしないで。お茶を飲んだら部屋にどもった方がいいよ」
 ユリアは反論せず、かすかに首を振った。
「それより、お茶をありがとうございます。これ……」
 微かながら特徴のある、嗅ぎ慣れた匂いだった。
 斜め隣の席に座るアーサーが、うん、と頷いてカップへお茶を注ぐ。
「珍しいものを手に入れたから。ユリアも懐かしいかと思って」
「はい、よく飲みました」
 水の色こそこの辺りで流通する茶葉とそう変わりはないが、独特の癖のある香りはシレジア特産のお茶である証拠だ。レヴィンはこのお茶が好きなのか、それとも習慣としてなのかはわからないが、幼いユリアはよくこれを飲んだ。
「懐かしいです」
 両手で小さなカップを包み込み、ふうと息を吹きかける。独特の香りがふわりと舞って、ユリアは深く吸い込んだ。
「あら、でもアーサー、あなたはフリージの出身ではないのですか?」
「母はフリージの出身だけれど、俺が育ったのはシレジアなんだ。小さいころ、俺はこの匂いが苦手だった」
「そうでしたか」
 いい言葉が思い浮かばず、その場しのぎの相槌を返す。暫く黙ってお茶を飲んだ。雪国のお茶だからか、飲むと芯から温まるような気もする。
 昔はどうだったろう。やはりお茶を飲むと温まったのだろうか。小さいときにユリアはこの香りをどう思ったのだろうか。
 思い出そうとしても、なんとなく過ごしていた日々は美味く引っかかってはくれない。
 アーサーはよく覚えているものだ。
 匂いが苦手だったお茶。今はどうなのだろう。味はどうだろう。飲めばアーサーも暖かさを感じるのだろうか。先ほどの本は何の本なのか。それともユリアを気遣ってくれただけか。シレジアで育ったのは、どのあたりだったのか。
 アーサーに関して、知らないことが沢山ある。いつか知ることができたらと、ユリアはこっそり心に刻んだ。