晴れた日はきみと

セリス×ユリア


 ダーナの城を解放して初めての朝、いつもよりも早くセリスは目が覚めた。久しぶりに天幕ではなく城の中で眠りについたからだろうか。そういえば、いつもよりも深く眠ったような気がする。だからだろうか、朝早く目が覚めたにしてはすっきりとした目覚めだった。
 寝台の中で伸びをする。砂漠の中の城は、上階に行けば行くほど窓が小さい。絢爛な外見の対比して、実際は敵襲と気候に対応したしっかりとした城だということだろう。
 しかしそのせいで、小さな光取りの窓では時刻があまりわからない。肌寒さからまだ日が出ていないことは分かるのだが。
 外に出て、回廊を目指した。
 ダーナの城の中心は中庭である。リーンはその中庭で踊っているのだと言っていた。夜に、月が明るいときにはとても幻想的なのだと。
 雨の少ない砂漠特有の天候がそれを許すのだろう。ここを発つ前に一度見られたらいいと思う。
 セリスの部屋から回廊まではそう遠くない。薄闇が城のあちこちを隠すけれど、それでも灯りが必要というほどではない。壁に手を付くと、豪奢な装飾の凹凸が伝わってくる。
 イザークの質実剛健な文化になれたセリスには、砂漠を抜けようという今になってもまだグランベル文化を異国のものと感じるところが多い。柱も壁も、素材も作り方も、同じ城であっても変わるところが多いと思うと、見慣れない飾りを見るだけでも十分に面白い。
 幼い時から大陸各地を渡り歩いたオイフェにそれとなく各国の様式を聞いてみたときは不思議そうな顔をされたものだ。オイフェにとって違いはそう大したものではなかったのだろう、人によって感じ方なんて千差万別だ。
 ――回廊からは、吹き抜けの空が見えた。
 遠くの空に低く厚い雲がかかり、赤銅に燃える朝焼けを遮っている。近くの空には全く雲がなく、浅い夜闇の隙間から快晴の兆しが見えた。
 あと小一時間もすればみな起き出して朝餉の準備も整うのだろう。いまはまだ、人の気配が少ない。夜に冷えた空気はまだ心地よいくらいで、少しだけ散歩をしようと決めた。
 特に意味もない散策は、人の目があるとなかなかやりづらいのだ。解放軍が大きくなってセリスが盟主として大々的に注目されるようになってしまってから、ただの散歩でも兵士たちは視察と感じるのか萎縮する、全くセリスにそんなつもりはなくても。申し訳なくて、最近はむやみやたらに出歩くことはしなくなった。
 早朝、人気がないと言っても、もちろん誰もいないというわけではない。夜警の兵士はいるし、早朝に仕事がある者もいる。
 回廊の反対側には見知った姿が淑やかに歩いていた。
 いまだ目の端に映ると意識を奪われる銀の髪は、レヴィンが最近連れてきた少女だ。帝国中央貴族の血を引いているのか、本人は記憶喪失だというので詳しくは分からないが、何かを感じさせるような珍しい髪の色だ。よろしく頼む、という少ない情報だけで預かることになった少女は、他に頼る相手もいないのだろう、セリスを何かと頼ってくれている。
 盟主として担ぎ上げられているけれど、確かに人から頼られるのは気分が悪くないのだ。つい調子に乗ってしまう自分がいて、少し気恥ずかしくもある。
 声をかけようか、しかしこの距離ではと躊躇していると、ユリアもこちらに気が付いたみたいで駆け足で寄ってきた。
「おはようございます、セリス様」
「ああ、おはよう、ユリア。ずいぶん早いね」
「はい、シレジアではいつも朝が早かったので、習慣で。……セリス様も、お早いんですね」
 ユリアは胸の前で手を合わせて、上目づかいにセリスを見つめてきた。何だか笑顔がまぶしく感じられて、セリスは目を細める。
「いいことだね。僕は久しぶりにこんなに早く起きたけれど、いいものだなって思ったな」
 はい、と頷きかけて、ユリアがハッと目を大きくする。
「セリス様! あの、……美しい朝ですね」
 なんだろう、とわからずにセリスは首をかしげる。
 美しい朝。あまり早起きをしないセリスにはわからないが、もしかしたら、赤銅色の朝焼けのことだろうか。珍しいものなのかもしれない。
「そうだね、朝にもあんなに赤く空が色づくことがあるなんて初めて知ったよ」
 今度はユリアが軽く首を傾げた。
 どうやら話がかみ合ってないのかもしれない。
「あれ、違う? 美しいっていうの、僕は赤い朝焼けが珍しくて、それのことかなって思っちゃったんだけど」
 的外れなことを言っていたのならば恥ずかしい。頭をかきながら言い訳をすると、いいえ、とユリアは首を振った。綺麗な銀の髪が顔の周りでふわりと揺れる。
「わたしが、いえ、分かりづらいことを。すみません。あの」
 銀の髪に囲まれた頬が赤い。「……レヴィン様から、イザークの言葉で、朝の挨拶は、美しさを喜ぶものだとお聞きして……セリス様は、イザークでお育ちだって聞いていたので、わたし……」
 その赤い頬を今度は白く滑らかな両手が包む。
 セリスは少しだけ考えて、笑い声をあげた。
「なるほど、そうだね。ここでの言葉は、時間の早さが朝の挨拶だもんね。言われなければ気が付かなかった、たしかにイザークでは美しさを挨拶にしていたよ」
 もちろん言葉はイザークの言葉だったけどね、とセリスは付け加えてから、イザークの言葉で朝の挨拶を告げる。
「まあ」
「聞きなれないだろう。これが挨拶なんだ」
「それが、美しい朝、という意味なんですか」
「直訳だとね。美しい朝だね、が、おはよう、っていう意味だから」
 ユリアがさっそく、真似て挨拶を口にする。
「ふふ、上手だよ、ユリア」
 舌足らずに聞こえるイザーク式の挨拶がかわいらしくて、セリスはもう一度朝の美しさをほめたたえた。