晴れた日はきみと

オイフェ×ラナ


 ダーナの町の明かりが夜闇に浮かび上がって見える。なんとなく、砂漠の中の町は少し幻想的にも恐ろしくも見えて、夜の寒さ以上のものを感じてしまってラナは腕を抱えて震えた。
 それなりの厚着はしているがマントを着てくればよかったと思ってしまう。昼間はびっくりするほどに熱いのに、夜はとても冷え込む。気温差に体調を崩しそうだと、暑さに弱いラクチェが弱音を吐くくらいだ。
 風がないのが救いかもしれない。風がなく、月もない。満天の星空が一面空を覆っている。寒いが、美しい夜だった。
 靴を砂の中にめり込ませながら、ラナは一歩ずつ慎重に歩いた。一度、イザークから砂漠に初めて入ったときに砂嵐がひどく吹いた日があった。解放軍のほとんどが砂漠の行進の経験がなく、風が収まるまでは何もできず、吹き付ける砂のあまりの痛さに苦労したことは忘れられない。
 ダーナを抜ければ砂漠も終わりが近い。結局ラナは砂漠の歩き方も習得できなかった。いまでも一歩一歩が歩き方を初めて覚えたみたいにぎこちなくて、我ながら笑ってしまう。
 本当は、さっそうと、ばれずに、忍び寄りたいものだけれど。
「その足音はラナだな」
「やっぱり気が付きますか?」
 目当ての人は振り返ることなく背後から近づくラナにマント越しに声をかけた。隠すつもりのない笑いがありありと感じられる。ラナはえいやえいやと心の中で掛け声をかけながら慎重に歩く。なぜ自分だけ他のみんなと違ってサクサク歩けないのかは不思議だったが、こうしてオイフェが笑うなら少しは気分が晴れる。
「ラナはいつまでたっても砂漠になれないな」
「そうみたいです。ようやくダーナに入れたときには、石畳に立って驚くほど安心しました」
 困ったように笑うと、そうか、と小さくオイフェは答えた。
 静かで深い相槌に合わせてラナはうなずく。そのままオイフェの隣に並んで立った。ダーナの町灯りはオイフェの体で隠れてしまった。見上げるオイフェは、ダーナには興味も向けずに砂漠の奥をじっと見つめているようだ。
「で、どうしたんだ」
「何がですか」
 質問に質問で返すと、オイフェは一度ラナを一瞥する。視線が合ったと思う間もなく、すぐに褐色の瞳は正面に向き直ってしまう。
「こんな時間に、こんなところで。万が一奇襲でもかけられたら、ラナ、お前は逃げられもすまい」
「そうしたら……諦めます。砂漠ではお荷物でしかありませんね。たまたま、本当にたまたま、オイフェ様が天幕を出るのをお見かけしたので……。オイフェ様こそ、何をなさっているんですか」
 ラナが砂漠で使い物にならないのは夜に限ったものではない。歩くのに難儀するのだ、走って逃げられなど出来ないし、昼だろうと夜だろうと関係ない、戦闘ではお荷物になってしまっていた。
 回復要員でよかったと、今回ばかりは強く思う。
 さて。
 宿営地を抜け出すオイフェを見かけたのは本当にたまたまだった。決して疚しい何かがあるわけではないが、オイフェはいぶかしげにラナを見下ろした。ようやく目が合って、そのあまりにも不信感を隠さないオイフェにラナは笑ってしまった。
「わたし、そんなに信用無いですか」
「そうだな、時折な」
 正直である。
 ラナたち同郷には、気取っていない素のオイフェの顔を見せてくれるのがラナはとてもうれしかった。気取った、軍師風の、頭の回転が速く、尊大な印象を受けるオイフェの姿も格好いいけれど。
 訪れる「時折」が大抵はオイフェに関することなのを、オイフェは気が付いているのだろうか。分かっていてほしい期待と、ずっと気が付かないのだろうという予感めいたものがラナにはある。そう思うからこそ、ラナらしくもない、疚しい行動をとったりしているだけだ。
「ふふ、それでもいいです」
「そうか」
 オイフェは瞳だけ優しく笑う。きっと、オイフェのことをよく見ない人には、これが優しいオイフェの表情だとは思わないのだろうと、ラナは暗闇に紛れるオイフェの顔を見上げる。
「夜は寒いな。砂漠は、とても冷える」
「はい、……昼間はとても暑いのに、なぜこんなに寒くなってしまうのでしょう」
 ラナの呟きにオイフェは答えず、代わりにマントの中を探って小さな瓶を出した。一口煽ってから、残りをラナに差し出す。
 両手で受け取って、夜闇に透かすように瓶を透かしてみた。雲のない夜とはいえ、光の乏しい砂漠では中身の色すら分からない。
「酒だ。冷える夜にはこれがいい」
 弾けるようにオイフェを見た。イザークにいた頃には絶対にラナたちの前では酒を飲まなかったし、そぶりも見せなかった。ラナが飲めるというのも隠していたはずなのだが。
「……こっそり飲んでいるのは知っている。エーディン様がいける口なんだから、娘もそれなりだろう」
 ラナは歯を立てて、わざと噛みつくように瓶に口をつけた。