病の床で見る夢は/薬湯


 むせるほどの激しい咳で目が覚めて、ラナはぼんやりと目を開けた。部屋は薄暗く、窓に日差し除けがあるからか、それとも時間帯が遅いのか、外から入ってくる光もほとんどない。夕方なのか、それとも陰っただけの昼間なのかも判断がつかない。喉に残った違和感を最後の咳で追い出して、ゆっくりと息を吐いた。
 こんなにひどく風邪をこじらせてしまったのは久しぶりだ。武器を持たず戦わず、のシスターであるがゆえ、か弱いと思われることの多いラナだが実際は身体はとても丈夫だ。体調を崩すことはラクチェやレスターのほうが多かった。ティルナノグで風邪がはやった時も、真っ先に風邪を引いた母を筆頭にみんなの看病をしてなお終焉まで元気にしていたのはラナだけだった。
 どこからもらった風邪なのか、ラナには判断がつかない。解放軍のなかでなければいいのだけれど。少なくともラナが風邪をひき始めたときに、解放軍の中ではやってはいなかったから進軍中なのは間違いない。居留地であるこの町に着いてから悪化してしまった。
 救護の仕事はこの状態では行えないので、ここしばらくユリアやティニー、ナンナに任せきりである。みんな自分の仕事もあるというのに、申し訳なさで胸が苦しくなる。
 いや、そんなことを考えたとて仕方がない。今はゆっくりと養生して早く体を癒すことが大切だ。睡眠と保温。いつもラナが病人に口うるさく言っている言葉を思い出しながら、ゆっくりと寝返りを打った。頭を軽く動かすだけで痛みが走る。響かないように、時間をかけて扉のほうを向く。
「――び、っくりした」
 かすれた声が出た。
 薄闇の中に紛れ込み、アレスが座っていた。上から下まで黒衣を纏い、陽にとけるような金髪と少し日に焼けた、それでも白い顔だけがぼんやりと浮かんでいるように見える。椅子に腰かけ、膝の上で所在なさげに両手を組んでいる。一度手を組み替えて、挨拶をするように右手をラナに向けて小さく振った。
「どうしたの、……いつからいたの?」
「少し前だ」
 低い声でアレスが答える。
「あら、見られてたの」
「たまにはな、黙っているラナを見るのも悪くないと思ったんだ」
「いつも、私、騒がしいみたい」
「そうはいわない、賑やかだと言いたいんだ」
 あまり変わってはいない。ふふ、と笑おうとしてまた咳が出る。布団の端で口元を押さえ、必死に顔をそむけた。ごめんなさい、と言おうとしてアレスを見ると、困惑した顔できつくこぶしを握っている。普段から険しく見える顔なのに、今日は一段と酷い。眉根を寄せ、深い彫が濃い影を作る。
「……ごめんなさい、あなたにうつらないといいんだけど」
「いいんだ、そんなことは。……薬湯を預かっている、飲めそうか?」
「ええ」
 体を起こそうとしたラナを素早い動きでアレスは制し、ベッドに寝かせた。その動きが手馴れていて優しくて、ラナは少しだけ驚いてしまう。
「無理はするな、吸い飲みがあるのはラナがよく知っているだろう」
 そういいながら、アレスはサイドテーブルからラナの良く見知った吸い飲みを持ち上げた。知っているどころか一番使っているのはラナだ。口をつけるのはこれが初めてだけれど。
 誰が作ってくれた薬湯だろう、とどうでもいいことを考えてしまう。ラナは薬湯を作ることが多く、実際に口にすることは少なかった。しかし飲み慣れている人からすれば、薬湯にも作った人の個性が出るようで、同じもののはずでも美味しい美味しくないがあるという、おかしな話を思い出した。
 アレスは無言で吸い飲みをラナに差出し、ラナはありがとうと目をつむって口に含んだ。苦くぬるい薬湯がじわっと口の中に広がる。美味しいとは言えないが、痛むのどに優しい気がする。本当は冷えた薬湯を出すのだけれど、もしかしたらアレスは冷えた薬湯がぬるくなるまで、横で待っていてくれたのだろうか。ずっと、ラナが起きるのを。
 飲み終わるとアレスは布団を整えてくれる。目をつぶると、怠さと眠さで体が布団に沈み込んでいく感覚があった。まるで高級な布団に寝ているようだ、包み込まれて沈んでしまう。それでもまだ寝てしまうのが惜しくて、がんばって口を動かした。
「……アレスがこんなに甘やかしてくれるなんて、不思議」
 足元の布団を直し終わったらしきアレスが、ふたたび横の椅子に腰かける音がする。
「不思議なものか。俺はもともと面倒見がいいんだ」
 そうかもしれない、と口にしたかったが、思うように動かない。薬湯のことも確認したいしアレスに感謝を伝えたいが、それよりも気怠さが買ってしまった。
「……早く治れ」
 ぼんやりと薄れる意識の中で、アレスが小さくつぶやいたような気がした。額に柔らかな感覚を残して、ラナは再び眠りについた。