病の床で見る夢は/あめあがり


 昨日は窓の桟を激しく濡らす雨が降っていたのに、今日は綺麗な青空が広がっていた。毛布にくるまって見上げると、透き通るような青空が四角く窓に切り取られて、入ってくる風は秋の香りをのせて穏やかで気持ちがいい。
 ユリアは布団を肩まで引き上げると、寝台のうえで寝返りを打った。額に手の甲を当てるとじんわりと熱が伝わってくる。眉を下げ小さく口を尖らると、もぞもぞと動きながら頭まですっぽりと布団の中に入った。
「ユリア、おかげんいかが?」
 ラナの声が聞こえたのは少し経ってからのことである。もしかしたら寝ていたのかもしれない。体中にじんわりと汗をかいている。頬に長い髪が張り付いていて、掌で拭いながら払いのけた。
「ラナ、だいぶいいわ」
 答えながら布団から顔を出す。すぐにびっくりして布団に顔を隠した。
「おはようユリア」
「……おはようございます、デルムッドさん」
 布団越しでもデルムッドが柔らかく微笑んでいるのがわかる。魅力的な暖かい声の持ち主の、一瞬だけ交わった慈しむような視線を思い出すとカッと頬が熱くなる気がする。
 寝起きの姿を見られてしまった、櫛梳かしていない髪に汗ばむ肌、なんてみっともない姿だろう。
「ごめんねユリア、女性の部屋に入るなんて失礼だって言ったんだけど」
 ラナの口調は少しデルムッドを非難しながらも、幼馴染ゆえの気軽さが隠れている。そしてもちろんユリアが拒まないことをわかっての発言である。その軽さが心地いいが、やはり気恥ずかしい。頬に宿った熱は簡単に引きそうにない。
「ユリアはまだ病気だって言ってるのに」
「病気なんて。少しだけ風邪をひいてしまっただけだから」
 ユリアはゆっくり顔を隠す布団を下ろす。優しく微笑むデルムッドの暖かな瞳とまた目が合った。
「ごめんなさい、一人でこんな……休ませてもらって」
「何言ってるの、風邪はこじらせると大変だもの。これからもっと寒くなるし、きちんと休んで治してもらわないと」
「そうだよ、無理はしないほうがいいからね」
 デルムッドは寝台に近づくと、上体を起こすユリアに手を貸してくれる。恥ずかしくない寝巻だったかしら、とぼんやりした頭で考えていると、デルムッドが頬を伝う髪を耳にかけてくれた。
「まだ熱があるみたいだ」
 そのまま額にデルムッドの大きな手が触れた。心地よい冷たさが肌にしみこむようで、ユリアはそっと瞼を閉じた。
「そうね、顔も赤みが残っているし」
 うーん、とラナが困ったような声を上げるので、薄目をあけてみるとラナは広げていた手巾を折りたたんでいるところだ。
「熱が下がっているなら、汗を拭いたほうがいいかなと思って持ってきたんだけど」
「俺がやろうか?」
「デルムッドのばか。熱があるならしないほうがいいわ。熱が引いたら!」
 二人がじゃれあうように笑いあう声を聴いて、ユリアはまた目を閉じる。確かに熱は残っている気がした、でも顔の赤さは、デルムッドがこんなに近くにいるからに違いない。先ほどまでひんやりとユリアの額を冷やしていたデルムッドの掌は、今はユリアと同じ暖かさでまるで一つになったような気すらする。それでもデルムッドの掌はゆっくりと離れていくし、むき出しになったユリアの額にはそよそよと心地よい秋風が触れていく。
 ラナは風邪にいいという薬湯をデルムッドに託し、バイバイ、と右手を振って部屋を去った。残されたのはデルムッドとユリアである。ユリアは寝台の上で膝を抱えて薬湯を用意するデルムッドを眺めていた。
 手際がいいのは、ラナをはじめとするティルナノグの幼馴染たちにこうやって看病していたからだろうか。デルムッドはたくさんユリアの知らないことを知っている。ユリアは何も知らないので、二人でいるときにたくさんのことを教えてもらっている。鳥の名前、花の名前。食べられる果物と味。きれいな景色、星で夜空に絵を描く方法。薬湯の入れ方と、飲み方。
「少し冷ましたほうが飲みやすいから。なんとなく、こうやって空気に触れさせてあげたほうが味もまろやかになる気がするんだ」
 そういって、カップを二つ使って交互に薬湯を移し替える。それで熱が冷めるのだという。時に高さを出しながら薬湯を入れ替えるのにこぼれることはない。不思議と薬湯はデルムッドが手にするカップの中に吸い込まれていくのだ。
「デルムッドさん」
「うん?」
 デルムッドは少しだけ顔を動かしてユリアの目を見た。必ずユリアのことを見てくれる、暖かな瞳がユリアは好きだった。
「ごめんなさい、お出かけしようねって言ってくださったのに、治らなくて」
 なんだ、そんなこと、とデルムッドは優しく笑った。そしてもう一度薬湯を移し替え。
「もう飲めると思うよ。大丈夫、ユリア。ユリアと一緒に町に行きたいのも本当だけど、……こうやってユリアの横にいられるのがうれしいんだ。嫌じゃないかな」
 どうぞ、と大きな掌がユリアの手を取って、カップを持たせてくれる。
「少し苦いけど、がんばってこの一杯だけは飲んでね。効くんだ、本当に」
 たしかに薬湯独特の苦みがした全体に広がるが、優しい温度と程よいとろみがのどに心地よい。ユリアはゆっくりと薬湯を飲み干すと、嫌じゃないです、と答えた。
「……迷惑になりたくないんです。デルムッドさんの。足手まといになりたくなくて」
「ユリアが足手まといになることなんてないよ。だってユリアの隣に俺がいるからね。それに昨日はずいぶん雨がひどかったろう、今日みたいな雨上がりの日は、綺麗な空をゆっくり眺めながら吹かれる風が一番気持ちいいんだ」
 外に出ると、なかなか空を眺める暇なんかなくなっちゃうからね、と茶目っ気のある笑顔でデルムッドは笑いかけてくれる。カップをデルムッドに返しながら、ユリアは窓の外を眺める。透きとおる高く青い空。草葉を揺らしながら穏やかに吹く風。
「ほんとうに。とても、気持ちがいいです」
「うん、だろう。俺はもうすこしここでゆっくりしたいんだけど、いいかな」
 うれしくて、うまく微笑むことすらできなくなってしまう。こっそりと下の唇を噛みながら不器用にほほ笑む。
「もちろんです、とても嬉しい」
「よかった、じゃあ、ユリアは横になって。こういう時だからできる話をいろいろしようよ。そうだね、たとえば――」