手を組む/アレスとラクチェ


 振り下ろした剣が狙い通り相手の腕の腱を切るのを感じ、ラクチェはようやく息をついた。
 目的の城には解放軍の旗が上がろうとしている。ゆっくりと見慣れた色の布が尖塔に掛かるのを視界の端に確かめながら戦場を見渡すと、動けぬ傷にもがき苦しむ敵兵の合間を縫うように解放軍の遊撃部隊が駆け回っていた。
 敵兵がこれからどうなるのかラクチェは考えないようにしている。生き残ればいいと思いながら、ラクチェは命までは狙わない。
 無駄に命は奪いたくない。それは盟主セリスの願いだった。
 甘ったれた戯言だと罵倒する輩もいるけれど、ラクチェはそんなセリスだからこそ共に戦うことを決めたのだ。だからセリスを盟主と剣を捧げたのだ。
 できる限り、致命傷は与えぬよう、しかし再度戦場に立てぬよう。
 それはただ殺すよりも難しいことだ。しかし誰よりもそれを得意にするからこそ、ラクチェは一層恐れられていた。
 相手の腱を切り骨を断ち肉をそぎ落としてなお生き残ればいいと本気で願う。それでもラクチェに癒す力はなく、敵兵を癒してくれと請い願うほどの熱量もない。
 ぼんやりとただ思うだけだ。
 生き残ればいい、生きていればいい。死ななければいいのに、と。
 見殺しにするのと変わりない、と吐き捨てたのはアレスだ。それならばいっそ一思いに殺してやるのが優しさじゃないのか、と。
 戦場に優しさは必要なのか、と問いかけると、お前らのやってることは優しさではないのか、と質問で帰ってきた。
 なるほど確かに、殺さず、は優しさである。
 しかし目的が違うではないか。命を奪わないためのささやかな抗いを優しさとするならば、苦しみを与えず命を奪うのは意味がない。
 求めるものが違うのだから、仕方がない。
 だからといって、おまえらの切り捨てた敵が生き残るのかはわからないのだろう。
 アレスの言葉にラクチェは少しだけ首を傾げた。
 ラクチェがもとめるのは生きる残るという確実性ではない。生きるかもしれないという可能性だ。死なないかもしれない。少なくとも、すぐには死なない。一撃で殺すよりも、生き延びる可能性は、当然増える。
 なるほど、目指すものが違うのだな、と納得した。見るものが違うから、話がどうにも噛み合わない。目指すもの、求めるものが違うから。
 きっとアレスがラクチェの、セリスの本意を理解することはないのだろう。手を組んでいるとしても、信念まで同じとは限らない。ただ目的が同じだけの、目的を遂げるための束の間の仲間である。ラクチェたち故里の仲間のように深いところで繋がる絆を持つわけではない。
 そうね、とアレスの会話を打ち切った。そうよね。
 その言葉は脈絡がなかったが、アレスはラクチェが切り上げたいことに気がついたのだろう。首を振り、会話をやめた。
 戦場を見合す。
 ラクチェが斬り伏せた敵は何人いて、そのうち何人が死に、何人が生きるのか。そんなことは関係がない。
 いつしか尖塔に解放軍の旗が閃く。ラクチェはゆっくりと城を目指し歩を進めた。


2018/09//17