舞踏会へ行きましょう!

シャナン×ラクチェ


 舞踏会、と聞いて思い出したのはティルナノグでシャナン様がオイフェ様とエーディン様にしごかれている姿だ。暖炉の前、いつもはソファとか重たいテーブルがあったところを、全部片隅にまとめて、広い空間を作って。
 そこで、エーディン様とシャナン様が手を合わせて、なんだかくるくると。
 なにやってるの、と聞いたら、まだ鬚のなかったオイフェ様が、秘密の特訓だよ、なんて茶化して教えてくれた。
 あれは、今思えばダンスの練習だった。
 クルクル踊るシャナン様が、明らかにエーディン様よりも下手なのを覚えている。エーディン様の足を踏んで痛がられてるのを知ってる。それでも上達して、エーディン様に褒められたのはこっそり覗き見した。
 それきり秘密の特訓を見ることがなかったのは、シャナン様の腕が一通り上達したからなのか、それとも場所を変えたからなのか、はたまた必要がなくなったからなのかはわからない。
 でもラクチェはばっちり、シャナン様が踊れることを知っていた。当然オイフェさまも。
「で、どうしてシャナン様はお呼ばれされなかったのかしら」
 素直な疑問である。
 もしもラクチェが件の会議、つまりは「舞踏会が催されることになったよ」会議に参加していたらいち早く突っ込んだものだが、あいにく呼ばれていなかった。大抵が部隊長と副官で、ラクチェはそのどちらでもないし神器も持っていない。
 まあ、つまりはそういう立ち位置なのだ。気楽でいい。
 気楽じゃないのは幼馴染たちで、使えもしない神器を持ってるレスターやら、ミストルティンを持つアレスの副官(に勝手に指名された)デルムッドやらは、重要な会議とやらに毎回出席しなくちゃいけないらしくて大変だ。
 そんな時間あったら、訓練してる方がいいわよねぇ、と双子の兄と訓練へ行くことがほとんど。もちろんこれは秘密じゃない訓練だし、剣の訓練。
 普段はそんな気楽さのラクチェだけれど、この会議だけは目をひん剥いた。
 まさか! あのオイフェ様が! こんな行楽行事に参加するだなんて。
 と思ったら、セリス様やレスターは参加メンバーに入っているけれど、そういえばオイフェ様もシャナン様も行くとは言ってなかったよね、なんて話になった。
「いや、あのオイフェ様が俺らに任せるか?」
「任せないだろ。だいたいまともにそういうの踊れるのって、オイフェ様くらいじゃないか」
「あとシャナン様な。エーディン様と三人でよく練習してたろ」

「なんだ、レスターも知ってたの」

「秘密にしてたのはオイフェ様とシャナン様だけだろ」
 なるほど、あの秘密の訓練はティルナノグの幼馴染たちにとっては公然の練習だったわけだ。
 オイフェ様はもともとグランベルのお貴族様だ。エーディン様は公女様。二人は言うまでもない。シャナン様は王子様だけれど、異国の王子様だからグランベル風の教養を身につけた、というところなんだろう。
 しかしまあ、セリスも、当然ラクチェたちも、その教養なんて欠片も教わらなかったおかげでみんなダンスなんて踊れない。
 リーンが宴でクルクル回ってるのを見るのがせいぜいで、それ以外でダンスなんて触れたことがない。
「これからオイフェさまと練習とかになったら、俺マジで嫌だな」
「レスターったら不真面目ね! あたし、シャナン様とだったらいくらでも練習するわ」
 ソファにだらしなく座り込んでため息を吐くレスターに、励まそうと思ってラクチェは肩を叩いた。
「ラクチェはシャナン様とならなんだって喜んでやるだろ」
「そうね」
 俺はオイフェ様となんでも喜んでやるってわけにはいかないんだよ、とわけのわからないことを溜息つくレスターである。

「しかも、なんかアレスがリーンを参加させたいってことから、同伴相手が必要になったらしくて」

「どうはん」
「一緒に行く相手。おんなのこ。パートナー」
 それが、いないんだよなぁぁ、と大きな溜息である。
「レスター、練習うんぬんよりも一緒に行く相手がいないのが嫌なだけでしょ」
「う、まあ」
「いいじゃない、ラナがいるでしょ」
 ラナは体こそ弱くて武器が握れなかったけれど、群を抜いて器用なのだ。きっとダンスなんてレスターよりも早く覚えてしまうだろうし、きっと剣を握っていたらラクチェと同じくらい強くなっていたろう。
 まあ、ラナは最近できた恋人との仲がいいし、あちらもあちらでそれなりの立場だった気がする。レスターの誘いに乗るかどうかは運次第だ。
「妹と、かよ」
 しかしレスターはラナの事情になんて一つも触れなかった。
 それはさすがに兄としても面目ないっていうか、と妙に語尾が濁るので、ピンときた。
 普段は冷静で模範的なレスターが時折見せる異常な光景が、誰と一緒にいるときなのか。こういうの鈍いラクチェだけれどもコイバナとかは好きだし、いつも一緒にいる幼馴染のことくらいなら、どうにかわからなくもない。
「誘えばいいじゃん」
「は」
「ほら、図星。誘いなよ、ティニー、フリーじゃん。一緒に行ってほしいって思ってるんでしょ。いけいけ。そしてあたしはシャナン様と一緒にいく!」
 ぽかんと口を開けて時の止まったレスターはさておき、立ち上がって握りしめた拳を高々と天井に突きあげたところで、ペシ、と本で頭を叩かれた。
「だから、シャナン様が行くってあんとき言ってなかったんだってば」
 デルムッドだ。きいてたか、ともう一度叩く本は分厚くて、馬鹿デル、とラクチェは上げた拳をデルムッドに向ける。
「痛いじゃない、そんなに叩くことないでしょ」
「愛情だ愛情。親愛なる幼馴染殿がそんな大切なことを忘れたのかと思ってだな」
「わ、忘れてはいないけど」
 ――正直に言えば忘れていた。
「でも、オイフェ様自身も言及してなかったっていうじゃない。なら言ってないだけで出るでしょ、どうせ」
「そうかもな」
 ラクチェの懇願にも近いセリスをさらりと受け流し、デルムッドは持っていた本をレスターに渡した。
「これ、渡し忘れてた。オイフェさまから。課題だとよ、斧に対する剣の有用性と効果を述べよ、だと。ちなみに俺は別の課題を出されたから一切手伝えないからな」
 オイフェの課題はティルナノグから続く歴史のあるものだ。昔はラクチェにも出ていたが、あまりに嫌なので代わりにシャナンとの猛訓で免除してもらった。オイフェ曰く、それぞれの将来に必要な知識を得るために、とのことらしいのだが、ラクチェは勉強は嫌いだった。この二人はまだ続いていたのか、と目にするたび思うし、デルムッドなどは本当に楽しそうだ。好きなんだろうな、信じられないけど。人には向き不向きがあるものだ。
 まあ、セリス様はもちろん、たしかスカサハも続いていた。みんなすごいな、と思いながらラクチェは一人部屋を出た。

 部屋にシャナンはいなかった。探すと、オイフェの部屋で酒を飲みかわしながら談笑していた。細く開いたドアから、穏やかそうな笑顔をこっそり盗み見たラクチェは頬がほころんでしまう。
 少し少年っぽさが残る顔にみえて、何だか久しぶりだと胸が温かくなるのだ。
 しばらく盗み見すのもいいけれど、ラクチェはノックしてからドアを開けた。
「失礼します、オイフェ様、シャナン様」
「ああ、ラクチェか。どうした」
 元気な声であいさつすると、オイフェが楽しそうな声で答えた。オイフェがこんなに上機嫌なのも珍しいことではないか。何かあったのかな、と思いながらぺこりと頭を下げた。
「オイフェさまもシャナン様も楽しそう」
「ああ、昔の話をしていたものでな」
「むかし?」
「ティルナノグの時の話だ、ラクチェ。大したことではない」
 そういいながら、浮かべた笑みのままお酒を飲み干してシャナンは杯をテーブルに置いた。
「昔のシャナンの話だからな、触れられたくないんだよ、そっとしておきなさい」
 喉の奥で笑いながらオイフェが慈愛に満ちた眼差しでシャナンを見るので、なんだかわからないけれどラクチェも優しくシャナンを見つめた。端正な顔の中でひときわ形のいい眉をゆがめて、シャナンが片手を振る。
「ふたりとも、やめろ」
「格好つけたがりめ」
「お前もな」
 よく分からないが、普段はしかつめらしい二人が楽しい様子なのにラクチェはとても嬉しくなる。これはきっと、いい結果になるだろう。
「あのですね、舞踏会のお話を聞いたんです。同伴者も必要だって。それであたし、シャナン様の同伴者に立候補に来たんです!」
 言葉を飾らずに直球で攻めるのはラクチェの得意分野だ。むしろそれしか戦法を知らない。
 戦法がうまくいくかはいつも行き当たりばったりで、今回はきょとんとされてしまった。
「あれ、どうしたんです、二人とも」
 シャナンとオイフェは一度視線を合わせて、何とも言えない顔になった。さっきまでの楽しそうな雰囲気が、すこしだけ残念そうな空気になってしまった。
「ああ、ラクチェ。言いにくいんだが、シャナンは参加しないことになっている」
「オイフェ様は?」
「オイフェは出る、だが私は少し別件があってだな」
 オイフェは口ひげを摘んでいる。シャナンは膝の上で組んだ手を何度も組み直している。なんて落ち着きがないのだろう。でもそれはラクチェも同じだった。
「なんでオイフェ様は出るのにシャナン様は出ないの!?」
「まあまずは落ち着いてくれ」
「落ち着いていられますか!」
 叫んで、拳をもう片手にたたきつけた。すごくいい音が響く。痛い。
「いいから話を聞け、本当に別件があるんだ」
「せっかく領主たちから公式の依頼があるのに、それをイザークの王子が断るような別件って何ですか!」
 オイフェとシャナンは再び顔を見合わせる。意外と馬鹿じゃないんだな、と視線で語り、それからも二人でごちゃごちゃと視線でやり取りをしているらしい。案外二人が仲がいいと思うのは、そんなやりとりを視線だけで済ませられることだ。
「あー、私は席をはずそう。あとは二人で話し合ってくれ」
「でもここオイフェ様のお部屋ですよね」
「気にするようなものは何も置いてない、しばらくしたら戻ってくるから荒らさないでくれよ」
 シャナンが恨めしそうな視線を向けても気にする様子はなく、オイフェは席を立ってしまった。シャナンはラクチェの耳に届かないように、イザークの言葉で小さく忌々しい言葉を吐いている。
 ということは、あんまり視線での会話はできていないのかもしれない。
「で、シャナン様。どんな御用なんですか」
「あー」
 教えてくれますよね、とラクチェはシャナンに詰め寄った。シャナンはソファの限界までもたれかかり、半ばのけぞるように天井を仰ぎ見ている。
「野暮用だ」
「野暮用でシャナン王子がミレトス領主の誘いを断るとは思えません!」
「私はオイフェと違って踊れない」
「ティルナノグで練習なさってだの、知ってます」
「なっ……。ええと、その」
 ラクチェは必死だった。必死に本気だった。シャナンをじいっと見つめていると、暫くしてシャナンも視線をラクチェに向けてくれた。そして深い溜息。
「わかった、わかった白状しよう。ちょっとした作戦なんだ」
 額を押さえて、軽くうつむいた。流していた髪の毛がさらさらと前に落ちる。
「さくせん?」
「ミレトスの領主と結託して」
 さらにラクチェが懇願して聞き出したのは、こうだ。
 ミレトスを解放したはいいが、どうにも終結がきな臭い。領主が言うには、帝国勢力は最後に一撃あたえ、そこで完全にミレトスを帝国領に落とそうとしているのではないか。そのために完敗を防ぎ、余力を残して解放軍とミレトスが気の緩んだところを狙うのではないか、という疑念だった。
 そこで考えられたのがこの舞踏会だった。
 解放軍としては帝国打倒後の行く末を示すのにもちょうどいい。自由都市とはいえ、ミレトスにはまだ権力の強い貴族に太いパイプもある。特に聖戦士の末裔や、将来領地を継ぐであろう者たちを中心に出席させ、顔見世の場も兼ねてはどうだ、ということだった。
 アレスがリーンを呼ぶといったのは、まあ完全に幸せな脳内のなせる技だろうが、今後婚姻問題も勃発するだろうし、今意中の相手がいるのであれば公表してしまえば後々いちゃもんもつけづらいのではなかろうか、というオイフェの親切心でもある。
 要は、アレスとリーンがゆくゆく身分やら出自やら煩わしい問題で糾弾されぬよう、今のうちからの布陣だ、という。
 一方シャナンは、王子としてもう顔も名も知られている。いまさら参加する必要もないだろう。オイフェは解放軍とミレトスとの橋渡し役だ。シャナンのほうが歩兵特有の自由も効く。単身とはいえ、そこらの兵には負けぬ自負も信頼もある。
 ということで、残党狩りをすることになったのだ。
「ほら、立派な野暮用だ」
 シャナンはラクチェの頭を優しく撫でた。大きな掌が、優しく頭の上で動くのが心地いい。ラクチェは一度目を閉じて、笑った。
「ねえシャナン様! あたし、そっちの方の同伴者になりたい!」
「む?」
「それ、すごく楽しそうじゃないですか! あ、ええっと、楽しそうっていうか、やりがいがあるっていうか! あたしに向いてると思いませんか」
「いや、お前は舞踏会に行くといい、レスターとかと一緒に」
「レスターはほかに行く人がいます」
「セリスとか」
「セリス様もいるに決まってますわ、セリス様だもん。じゃなくって、あたしが、そっちに行きたいんです!」

 ねえ、とラクチェはシャナンの膝に手をついた。下から見揚げると、シャナンの、ほとんど黒く見える瞳が実は濃い紫なのを思い出す。
「それに、そのお勤めの同伴者なら、あたしが一番向いているでしょ!」
「うーむ、そうだな、それは同意するが……
 シャナンはラクチェの頭に追い立てはそのままに、困ったように目を閉じてしまった。ちょっとだけ濃い紫の瞳がさえぎられてしまったのが残念でならない。
「それなら決まりです! 大体、ここまで話しちゃって、あたしが黙って引き下がるとお思いですか?」
……
「きっとオイフェ様もこうなること見越して、あたしとシャナン様二人にしてくださったんですよ」
 あまり頭を使わずに思ったままに口にした言葉だったが、結局それが一番シャナンの背を押したらしい。
 ううん、と何度もうなった後に、はあ、と溜息を吐いた。
 その溜息は何度も聞き覚えがあるものだった。仕方ない、わかった、と続くもの。なじみの溜息に、ラクチェの顔はすでに満面の笑みである。
「やったあ!」
「まだ何も言ってない」
「でもこれから言って下さるんでしょ!」
 ラクチェが両手を上げて喜ぶと、まったく仕方がない、と言葉では苦言を呈しながらも、シャナンの顔はほころんでいた。