舞踏会へ行きましょう!

レスター×ティニー

 舞踏会、と聞いたときにずいぶん酔狂なことをするものだ、という感想しか思い浮かばなかった。母の時代にはあったらしいが、この戦乱の時代で、そんな余裕があるなんて。
 と、はっきり言ってレスターが他人事として、考えていたのは、言い方は悪いがはっきり言って所有するフォルセティがお荷物だからだ。
 荷物。本当にお荷物である。割と重量感のある、持っていても仕方がないが持たないわけにもいかない荷物。毎度重さにはなるが武器にはならない。使えたとして近距離打擲用だろうが、もちろんそんな風に使うことはできない。
 つらい立場である。
 時々顔を見かける父には申し訳ないが、できることなら妹に譲ってしまいたい。
 レスターは弓の才能はあったが魔道書に関してはからきしで、妹はその逆だ。魔道にも杖の才能にも優れているのだが、とにかくレスターにないものをラナが持っていてラナにないものをレスターが持っている。正しく反しているのだ。
 なぜフォルセティの聖痕がラナに出なかったのかと悩む日もあった。おそらくラナも同じようなことで悩んだろう。フォルセティの書は強大な力らしいので、解放軍としても痛手だし。
 いまは割とどうでもいいと思っている。いつ頃からかは忘れたがいつのまにか吹っ切れた。
 吹っ切れた、というのはそれ以上に弓に対して真剣に取り組むことが多くなったからだろう。ファバルというイチイバルの後継者の出現はレスターにとって衝撃だった。
 なにせ強いから。
 ファバルの強さはイチイバル由来だけではなかった。名のない単なる短弓を持たせても、舌を巻くほどに強かった。
 なにくそ負けてなるものかと頑張っても、結構勝てないことが多くて、めらめらと闘志に火が付いた。そのあたりで、本当にフォルセティの存在を忘れていた。
 おかげでレスターも参加するのだとオイフェに言われ、「はぁ?」と普段のレスターからは信じられない馬鹿げた声が出たときは我ながら焦った。
 会合が終わった後にきちんとオイフェに呼び出されて怒られた。
 曰く、次期シレジアの王位継承者としての自覚がなさすぎる、と。
 もっともすぎてぐうの音も出ない。
「だからこそ舞踏会に参加してもらうということは分かっているな。お前はシレジアの顔になる存在なのだ。舞踏会には、ミレトスを中心に、解放軍を支援してくれている貴族達がやってくる。十分に顔を売ることだ」
 オイフェはレスターの育ての親ともいうべき存在で、だからこそレスターのことをよくわかっていた。間違っても父親の顔に泥を塗るなよ、といった類を言わないのが何よりの証拠だ。
 的確にレスターの弱いところを突いて、ほめられたいところをほめてくる。
「レスターならば十分にできるとわかっている。そうそう、同伴者をつけることになったから、シレジアの顔として誰を共に連れていくのかよく考えることだ。決まったら踊りの練習を行うからそのつもりで」
 大半が尻たたきであることは間違いないが、お陰でレスターはそこそこやる気になっている。同伴者探しを除いて。
 まったくアレスは良いよなとボヤきたくなるものだ。解放軍に参加するときから既にかわいい女の子が傍にいた。付かず離れずの距離。羨ましいと言わずして何と言おう。
 レスターはどうだ。妹や妹同然の二人を可愛くないとは言わないが、そういった意味では可愛くない。
 ラクチェに「いけ」とけしかけられたものだが、これといって決まった相手がいるわけではない。誘えば一も二もなく同意してくれる相手がいるアレスは何て恵まれているんだろう。レスターにはそんな相手がいない。
 気になっている相手がいるだけだ。
 これといって弾んだ会話もしていないし、どこかに一緒に出掛けることもない。それこそ妹の方がよろしくやっているのを知りたくはないが知っていた。そこそこの立場の相手だとぼんやり認識している。
 もしかしたら、ラナはさっさと舞踏会行きを決めているのかもしれない。となればどちらからその会話になったのか聞いてみたい気もする。
 いや、すでに関係の出来上がった妹と自分とでは条件も違うだろう。アレスがさっさとそんな話になってるのだし。
 出来上がっている関係とはいいものだ。
 しかしラナとその相手がどこまで出来上がった仲なのか、知りたくなんてない。妹の色恋なんてなるべくなら最後まで秘していてほしい。兄はそういった点では割と閉鎖的なのだ。だからあえてラナと話したことはないし、それとなく話題からは避けている。相手が誰だと具体的に知っているわけではない。
 この舞踏会で、または踊りの練習で蓋が開いてしまうのは、恐ろしい気もする。
 などと、ぐるぐると一人相撲をしながら宿営地のあちらこちらを放浪してしまう。
 混乱する思考に最適なのは、静かな空間でじっとしていることより、多少の賑やかさの中で散策することだ。
 だからレスターはぼんやり腕を組みながら歩いていた。足腰は丈夫である。だてに隠れ里ティルナノグで育っていない。騎乗で弓を射るのに体幹だって鍛えている。ラクチェやデルムッドとひとしきり舞踏会について会話をしてからはや数時間は経っているものの、ずっと歩き続けていた。
 ーーそもそも舞踏会って。
 わかっている、お披露目だ。後継者のお披露目会。または解放軍の立役者お披露目会。顔を知ってもらおう会。わかってはいるが、では、将来シレジアを負うものとして誰と一緒にいるのがいいのか。
 そもそも自分は将来シレジアを負うのか? 丸投げしてはダメなのか。丸投げなんてするつもりもないし負うつもりなのは自分が一番分かっていて、そんなことまで考えてしまう。
 これといった相手が見つからないならラナがいいのだろうが、かと言って妹を連れ歩くのは情けない気がする。プライドが許さないというか。そもそも先約があると断られるだろう。ラクチェはそんなに適していない上、出るならシャナンと一緒だ。
 あとはもう、頼れる相手がいない。
 同伴者なしでも許されるだろうか。お披露目ということなら、今は将来のなかを誓い合う相手がいないのだと、そういった意味のお披露目にはなるだろう。それならばシレジアに戻った後に婚姻の相手が引く手あまたになるではないか。
 果たしてそれに意味があるのか。
 いや、ないわけはない。シレジアの王になるのならば、なれるとすればより条件のいい婚姻相手を見つけるのは一つの責務と言える。
 条件のいい、だなんて。
 自分の考えながら、レスターは頭を抱えてしまった。レスターの希望を少しでも織り交ぜていいならば、条件よりも愛情を選びたかった。どれほど条件が悪くたって、レスターが好きでレスターのことを好きでいてくれる相手がいい。
 一体何を考えているのか。
 全く思考がまとまらない。いくら歩いたって意味がない。頭を抱えても仕方がない。
 そもそも、考えがまとまれば一緒に舞踏会へ行ってくれる相手が現れるわけでもない。
 ちらちらとずっと浮かぶ顔がある。浮かんでは消える姿がある。こんなにも今悩むのならば、もっと前から勇気を出して話しておけばよかった。いまさらどうしようもない後悔を抱えて角を曲がった時だった。
「あっ」
 考えに夢中で、前をよく見ていなかった。反対から角を曲がってきた誰かとぶつかってしまったのだ。
 倒れ込む体をさっと支える。レスターの鍛えた体幹は揺るがなかったが、相手は可哀想なほどバランスを崩した。
「ごめん、よく前を見ていなかったもので」
「いえ、こちらこそすみませんでした。私の不注意です」
「……ティニーさん?」
 見下ろす銀紫の髪はティニーのものだ。パッと目を引く赤いリボンも。そうか、自分の肩くらいにしか頭が届かないのかと、場違いなことを考える。
 レスターの両手が支えるティニーの肩はとても細くて、力を入れれば壊れてしまいそうだ。こんなに小さかったのかと、なんだか感動すら覚えてしまう。
「レスターさん。すみませんでした、私……」
「いや、俺の不注意。ごめんね、結構勢いよくぶつかったでしょう。痛くなかった?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
 ティニーにここまで至近距離で見つめられたのは初めてだ。見上げるティニーの顔が可愛くて、自然と顔が緩んでしまう。小さな唇、ツンととがった鼻、大きな淡い色の瞳。なんだかいい香りもしてくる。遠慮がちに微笑むあたりもかわいらしくて、ふと眺めすぎかと気になった。
 支えるにしても長く触りすぎたのではなかろうか。至近距離をいいことに見つめすぎたのではなかろうか。
 こんな、ちょっと幸せな事故だからって、ほぼ初対面にも変わらない立場で馴れ馴れしくするのは失策だろう。
「いやいや。ええと、どこか急いでいたの?」
 ぱっと両手を離したがそれすらわざとらしい気がする。ティニーは細い手を胸の前で合わせた。ティニーに触れているのが嫌だったのだと誤解されていたらどうしようと、これまたどうにもできないことを考えてしまう。
 そもそもこんな質問は何だ。これこそ愚策だ。個人的なことに足を踏み入れすぎだろう。
「いいえ、少し散歩をしていたんです」
「そうか、じゃあ俺と同じですね」
「レスターさんこそ急いでいたのではないですか?」
 ティニーの指先が赤い唇に触れる。首をかしげると、動きに合わせて銀紫の髪が揺れる。
「いや、俺も散歩をしていただけなんだ。昔から歩くのが早いと言われていてね、恥ずかしいんだけど」
 何が恥ずかしいと言えば、自分でもわけのわからないタイミングで恥ずかしがることだ。もう少し、いつもの自分ならスマートに対応できる気もするのだが。こうも上がってしまっては仕方がない。
 願わくば、ティニーにはまともな男に見えていてほしい。
「まあ、レスターさんも散歩をなさるんですね」
「ティニーさんも。奇遇ですね」
 何が奇遇なものか、散歩なんか誰でもするだろう。でも破裂しそうな頭ではろくに話題が出てこない。
 しかしせっかくの機会だ。ティニーと二人きりで、しかもこんなに会話が続くなんて初めてのことではないか、と脳内で小さく拳を握る。
「よく、散歩なさるんですか、ティニーさんは」
「ええ、何かしていないと落ち着かなくて。あまり、でも今は、あの、することがないので、散歩を」
 たどたどしく言葉を紡ぐのもかわいいと思えば、少しだけ照れたように視線を落とすしぐさもかわいく、肩にかかった髪をそっと払う所作もかわいい。だめだ、もっとまともなことを考えなくてはいけない。
「そうなんですね、じゃあよかったら、少し一緒に歩きませんか」
 いえた、と脳内は握りしめた拳を振り上げている。実際にやっていないのが不思議だ。にこやかな笑顔を張り付けられているのは、これまでに培った精神力のたまものだろうか。単に、混乱の結果ともいえそうだが。
 ティニーは再び胸の前で手を組んで、悩むように少しだけ間を置いた。ほんの少しだけれど、それがレスターには不安になってしまう。
 図々しかったろうか。いや、仲が良くもない男からそんな提案をされて困らないはずがない。そもそも下心が丸出しの提案だろう、一緒に歩こうだなんて。もっといい提案があったはずだ。今は何も思い浮かばないけれども。
 今浮かぶのは、ティニーが断りませんように、ということと。万が一うまく事が進んで、ティニーに舞踏会の同伴者になってもらえればいいのに、ということだ。
「ご迷惑では、ないでしょうか」
 帰ってきた返事に、レスターの脳内は花が咲き乱れた。



「レスターさんはよく散歩をなさるんですか?」
「ええ、割と、よく。ものを考えるときに、一人だと行き詰るので」
「あら、じゃあ今日も何かお考えだったんですね。お邪魔してしまったようで、申し訳ないです」
「いや、そんなことはないんですよ。実はかれこれ考えても結論が出ないもので、ちょうど誰かとお喋りでもしたかったんだ」
 考えていなくても会話はうまいこと続いた。いや、考えていないほうがいいのかもしれない、普段は考えてもろくな結果にならないのだ。ティニーの前だと。緊張していて。
 まあ今がろくな結果になっているのかはわからないが、少なくとも、こうして一緒に歩きながら会話を楽しめているのはこの上ない僥倖と言わずしてなんだろうか。
 このままずっと楽しんでいたい。そして舞踏会に誘いたい。
「ふふ、レスターさんって優しいんですね。そうやって気を使ってくださったり、歩く速度を合わせてくださったり」
 確かに先ほどの半分ほどの速さだ。とてもゆっくり。ティニーの歩みに合わせて、のんびりとした散歩だ。
 はっきり言えばこんな速度ではまとまる考えもまとまらないだろう。しかし、まとめるような考えがないとわかった今となっては散歩の速さなんてどうでもよかった。
「褒められるのは慣れていないから。照れるな」
 レスターはちょっと頭をかいた。少し視線を下に向ければティニーの長いスカートの裾から、しずしずとつま先が見え隠れしていて、そのしとやかさに胸がいっぱいになる。同時に、いつもこんなに長いスカートをはいていたろうか、と気が付いてしまう。
 いつもはもっと短い裾だった。
 断定できてしまうのは、誓って常に下心満載の視線で見つめていたからではない。視線にこもっていた下心はほどほどだ。まあ、気になる女性に向けてからそのあたりは仕方がない。
 いつもは膝丈くらいの裾丈で、白い素足が見えていた。重ねて言うが下心はほどほどだ。
 そりゃ、レスターも年頃なので白い素足が見えているのもいいと思うのだが、こうやって慎み深く隠れる長いスカートもとても好ましい。特に、身近にラクチェとラナという、淑やかさとは少しはずれた女性が傍にいたからなおさらだ。
 結局、ティニーが着ているならどんな服ならいいとも言える。いやきっとそうだ。
 さて長いスカートも似合うと伝えるにはどういったらいいんだろうか。直接的な言葉では、レスターが適度とはいえ下心を込めた視線を向けていたことがばれてしまう。
「いいえ、そんな。レスターさんはたくさん、いろいろなところで賞賛されてますのに」
「そんなことはないよ」
 世辞にせよ、こうやってティニー本人の口から褒められるというのは天にも昇る気持ちだった。本当に、まさかティニーがレスターのことを気にかけてくれていたのではないかと期待してしまう。
「ふふ、ご謙遜を」
「それならティニーさんだって。みな褒めている」
「それこそそんなことはありません。まだまだ未熟で、力不足に不甲斐なく思う日々です」
「それこそ謙遜だ」
 ティニーはふわりと花の咲くように微笑んだ。なんだかその微笑み一つがいい香りがするような気すらしてくるから、浮かれた脳内というのは不思議なものだ。
「ありがとうございます。レスターさんに褒めていただけるなんて嬉しいわ」
「俺の褒め言葉で喜んでもらえるなら、いくらでも。今日の服装も素敵だし」
 いえた。すごく自然にいえた気がする。自然だろうか。自然だといいのだが。
 こっそり顔色を窺うと、ティニーの薫る微笑みは曇った気配はない。内心安堵の息を吐いた。
「嬉しいです。戦場では動きやすさ重視なんですが、普段は、過ごしやすいものを選んでしまって」
 ティニーはきっと何を着ても似合うだろう。それを伝えるのはどうか。そうすれば、その流れで舞踏会に誘えるのではないだろうか。
 たとえば、そう、ドレス姿も似合うんでしょうね。一緒に舞踏会に行きませんか、とか。ありだろうか。
 いや、無い。
「はは、わかります。やっぱり戦場と普段の服は別ですね。妹は割と機能性重視で常に似た服で、あまり話が合わないんだ」
「ラナさんですか。ラナさんは、戦場でなくても解放軍のために献身的だから、すごいなって思います。だからいつもシスター服なのかと思っていました」
 あいつはああ見えて不精なんですよ、と口元で人差し指を立ててレスターがささやくと、まあ、とティニーはクスクス笑った。
「ラナさんには内緒にしておいた方がいいお話ですね」
「そう、ティニーさんと俺の内緒話にしておいてください。怒られてしまう。あいつは怒ると怖いんだ」
 ティニーはまだクスクスとかわいらしい笑い声を響かせながら、肩を揺らした。
「レスターさんでも怒られること、あるんですね」
「それはもう、しょっちゅう」
 レスターは肩をすくめる。ひょうきんな顔をするとティニーの笑い声が心地よくレスターの耳に届いた。
「今こそ立場だなんだとありますが、昔はそれこそ山奥の平凡な兄妹でしたからね。可愛がりもしましたが、取っ組み合いの喧嘩もしたし意地悪をしたりされたり。ラナは俺ら周りが年上だったから、割と知恵の回るやつでした」
「不思議、レスターさんにも小さい時があったんですよね」
「ティニーさんにも」
 話を振って、ハッと気が付いた。ティニーの悲しい過去を、浮かれ気分の自分はなぜ忘れてしまっていたのだろう。これでは本当に気遣いのできないただの愚鈍だし、この話題は愚図だ。なんていうことをしてしまったのか。
 しかしティニーの微笑みは途切れなかった。そうですね、とかわいらしい唇は弓状のまま相槌を打ってくれる。
「私はお兄さま、アーサーお兄さまとの思い出はあまりないのですけれど、フリージではイシュタル姉さまが良くかまってくださいました」
 そういってから、あ、と驚いたように口を開けて、両手で隠す。
「ごめんなさい、イシュタル姉さま、敵軍の人だからあまりそういう話をするなってお兄さまに言われてたんでした」
 途端シュンと陰りを落とすティニーの大きな瞳は、それでもレスターを見上げている。上目づかいで。
 視線をそらさずにいてくれたことが、何だか信頼の証のようでうれしくなってしまう。こんなに会話をしたのは今日が初めてだというのに何が信頼だ、と思わないでもないが。
「ここでは気にすることないよ、ティニーさんと俺だけの内緒の話だろう、何でも話してください。イシュタル……さんは、いい人だった?」
「はい、幼いころから良くしてくださいました。フリージに恨みこそど、イシュタル姉さまは……」
 語尾は細く消えて、ティニーはさすがに目を伏せた。細い首を左右に振る。これにはレスターもそうだろうと納得した。
 いくら気にするなと言ったとしても、さすがに敵将の一人であるイシュタルの現在を好意的に語ることは許されないだろうから。
 つまり、ティニーが適切な判断ができる聡明ですばらしい人だということだし。
「ティニーさんは受けた恩を忘れない人ということだ。いいことじゃないか」
「ありがとうございます」
 ティニーはいまだうつむいたままだが、少しだけ微笑んだのがわかる。微笑みは口元だけでない、ティニーの雰囲気からもすでに分かる。
「私、ありえないと思いながらも少しだけ、噂ですけれど……オイフェ様が一部の方と自由都市の領主の方々と舞踏会を開くという話を耳にして。もしかしたらイシュタル姉さまを知る方もいらっしゃるのかもしれないと……」
 レスターはゆっくりと立ち止まった。
「……会いたい?」
 レスターに倣ってティニーも足を止めた。半歩、ティニーのつま先が先に出ている。靴はいつも履きなれた靴だ、とレスターは分かった。
「イシュタル姉さまですか? いいえ。ただ、話を聞いてみたい、と思います。イシュタル姉さまとではなく、他の方からみたイシュタル姉さまの話を」
「どういう人だったのか、ということ? それは、解放軍の敵として、という話になるし、だいぶ繊細な話題だけれど」
 そうですね、とティニーは少しだけ不思議そうな顔でレスターを見る。足を止めた理由か、それともこの話題を振った理由だろうか。
「わかっています。それに、イシュタル姉さまにすで見限られています。過去のことを思うことはあっても、未来は、別です。敵対することになんら異存はありません。ただ不思議なんです、あんなにやさしくしてくださった姉さまが、どうして非道なことができるのか。……そういう性分の方だったのか、知りたくて」
 あ、でも、とティニーは小さな両手を胸の前で精いっぱい振った。
「わかっています、私は選ばれていませんし、伝手もありません。もしも、の夢のお話なんです。甘えてしまって申し訳ないですけれど、これ、レスターさんと私の内緒のお話でしょう」
「いいよ」
 レスターはその手首を押さえた。軽く腕に当たってティニーの動きが止まる。つかまれた手首に一度ティニーの視線が降りて、またレスターの顔に戻る。
 何を言っているのかわからない、という顔をされた。
「連れて行ってあげる」
「レスターさん?」
 首を傾げられた。知らないのだろうか。
 知っていて、わざとわざとこの話を振っているのかと思った。今も少し思っている、このティニーは知らないふりをしているのではないだろうかと。
 そうだとしたらティニーはなんて演技が上手なのだろう。だって目の前のティニーは何も理解していない様に見える。
 いや、勝手に憶測するのはやめよう。それに一度口に出してしまったことを撤回するのはなんか、あれだ。男が廃る。有大抵に言えば超かっこ悪い。
 知らず口から転がり落ちた言葉とはいえ、これが本懐だ。悔いはない。
「知らないかな、俺は、呼ばれているんだ」
「……知りませんでした」
 驚きで、もう一度ティニーの口がぽかんと空いた。赤い小さな唇の奥に白い歯が整列しているのまで見えてしまう。違う、見るべきはそんな隠された場所ではない。
「え、そうなのですね、レスターさん」
 これは一度説明をしたほうがいいのだろうか。 何から始めるべきだろうか、自己紹介か。名前を知られているから省いていたことをすべて伝えてあげた方がいいだろうか、好きな食べ物とか好きな女性とか。
「あー、ええと、知られていないかもしれないけれど、俺はこれでも聖戦士の末裔で」
 口を開けたまま、小さくティニーは頷く。その拍子でくくった銀紫の毛先がレスターの手をくすぐった。
「知っています、ウルの……」
「いや、違う所の」
「知りませんでした」
 詳細は省いた。
「とにかく、そんなこんなの縁で呼ばれたんだ」
「レスターさんは、そんなご縁でなくとも呼ばれて当然の方だとは思います」
 ティニーは小さく抑揚なくつぶやいた。これぞまさに滑り出た言葉のようで、慌てて空いていた片手で口をふさぐ。歯が隠れた。代わりに、むき出しの頬が赤く染まる。
「ありがとう、いやまあ、呼ばれた理由はいいんだけれど、実は同伴者を探すことになって」
「同伴者……はい」
「それに、ティニーさん、一緒にどうですか」
 ティニーの目が大きく見開かれた。頬がさらに赤く染まる。つかんだ手が、かすかに震えている。
 震えるほどに嫌なのか。なんていうことだ。
「あ、いや、無理にじゃないよ。それにほら、他の、ええとティニーさんも見知った顔もいくだろうし、会場にさえ着けば俺と一緒にいなくても大丈夫だろうし、安心して」
 安心できないのはレスターの心中だけだ。本当は一緒に行ってもらえたら一緒にいてほしいしダンスだってしてほしい。大体舞踏会は踊る場所だ、幼いころに母とオイフェ、シャナンが練習をしていたのを知っている。ああいう踊りをやるんだろう。レスターは知らないけれど。
 でも男女が組み合って一緒に踊るのだ。ティニーとできたら素敵じゃないか。そしてティニーの滅多にないドレス姿が見られるんだ。素敵じゃないか。
 母に服選びは鍛えられた。合わせるのは髪の色でも目の色でもいいことも学んだ。相手が似合う所は的確でなくてもきちんと口に出すことも学んだ。最善は尽くす、そのあたりは任せてほしい。
 褒めるし、必死にエスコートも学ぶ。いや違う、セールスポイントはそこではない。一緒にいなくてもいい、いたいけど。でももしもティニーが望まなければ無理強いはしない、と言いたいのだ。
 ティニーが望むのなら、領主とのおしゃべりの足掛かりになってなるって。そういうことだ。
「私、あの……踊れません」
「俺もです。っていうかみんなそうだ。オイフェさんがメンツがそろい次第練習をするって」
「服なんか、持っていませんし」
「先方のご好意です」
「私なんかと行くなんて、レスターさんに申し訳ないです」
「いや、それはない」
 食い気味の発言だった。レスターの頬まで赤くなってしまう。口元を覆い隠すと、ティニーの瞳がそこに集まるのがわかった。
「それはないです、ティニーさん。むしろ俺があなたにふさわしくない」
 本当に照れてしまう。どうしよう、信じてもらうためにはこのまま好意を告げた方がいいのか。わからない。なんせ頭はろくに回っていない。
 返答がなくて、よく見ればティニーも顔中を赤くしていた。レスターの色をそのまま映しているかのようだ。なんでティニーが照れているのかレスターにはわからないが、嫌な感じはない。むしろなんだかいい感じな気がする。
 それはきっと気のせいじゃない。
「ティニーさん」
 勇気を出して、ティニーの手のひらに触れてみた。隠すのはやめた。あんまりおおっぴらにはしないけど。たまには、男ならたまには押すべきタイミングがあるもんだ。
 ティニーの手はしっとりと肌に吸い付くようだ。なめらかで、白くてか細い手。それでも少しタコがあったり、マメができていたり、働く人の手をしている。そして、レスターが握るのを嫌がりもせずに受け入れてくれている。
 ティニーの眸は変わらずにレスターの顔に向けられている。
 緊張する。動悸が激しい。
「俺が、できれば、ティニーさんに一緒に来てほしいんです」
 お願いできませんか。視線をそらさずに真面目な口調で頼むと、大きな瞳が少しうるんで、こくり、と頷いた。