「ぶとーかい!?」
あまりに素っ頓狂な声に、アレスは殺しきれない笑いを喉の奥で転がした。
「ああ、舞踏会らしい」
平然とした態度をとりながらも、はしゃぐリーンの姿を目で追ってしまう。ぴょん、と寝台から驚きと喜びで飛び降りたリーンは、括ってもいない緑の髪を乱しながら高く跳ね上がる。
いつもの簡素な服を着ても、リーンの、兵士とは違う引き締まった体の線はよくわかる。むき出しの細い腕は左右均等に程よい筋肉がついている。それがググッと延ばされ、寝台で横たわるアレスの首に絡みついた。
「ぶとーかいって、あれでしょう、昔話に出てくるような。お姫様がドレス着てクルクルってする奴」
「昔話は知らんが」
アレスはリーンの腰に手を回し、力を入れて転がした。きゃあ、とかわいらしい声を上げながらリーンはアレスの上に転がった。リーンが楽しそうに笑うたび、アレスの裸の胸に振動が伝わってこそばゆい。
「堅苦しい恰好で踊るようだな」
「ふふ、アレス、嫌そうな顔」
リーンの色づいた爪が皺の酔ったアレスの鼻先に触れる。アレスはくすぐる指を払いながら、リーンの手を握った。
「ああ、嫌だからな」
「いいじゃない、光栄なことなんでしょ、お招きされてるなんて! しかもアレスご指名なんでしょう!」
先方がご指名なのはアレス個人ではなく、ミストルティンの後継者だ。べつに、デルムッドにミストルティンをもたせていったってばれないだろうと思っているし、その方法で断ろうかとも思っている。
自由都市ミレトスを解放した時のことだった。ミレトスは、これまでになく領主の権限が強く残った街だった。自由を冠しているからか、帝国の支配下に置いてもまだ完全に帝国に染まり切っていない。解放軍と帝国の戦闘時には秘密裏に解放軍に支援をしてくれてもいた。
ともあれ、なかなかに激しい戦いだったミレトス解放戦の終わった後、ミレトス領主を中心に、残った貴族連中が言い出したのだ。解放戦争の勇士たちを迎えて歓迎の舞踏会を執り行いたい、と。
大抵の交渉役を務めるオイフェは、解放軍に戻ってそのことを皆に伝えたときに何とも言えぬ苦々しい顔つきだった。同郷のデルムッドですら、あんなオイフェさまは見たことがない、と呆れるくらいに。
オイフェさまはああみえてそういうの嫌いだから、きっと粘って断ったんだろうけど、オイフェさまでも断れないならだれが断ってもうだめだねぇ、などいう。その顔は何とも涼しくてアレスは肩を叩く。
俺は声かけられてないから頑張れよ、とデルムッドはひょうひょうと、アレスの肩を小突き返した。
ミレトス解放戦に、確かにアレスも力にはなったろうが、とはいえミストルティンを使って目立った戦いはしなかった。正直、撃退数ならそれこそデルムッドやスカサハ、ラクチェ兄妹のほうが多いだろう。それなのにセリス、リーフの後に名が挙がったのがアレスだった。そのあとにイチイバルを継ぐファバル、フォルセティを持つレスター、と続けば、否が応でも先方の意図するところがわかるというもの。
出ない、と言い張ってもオイフェが承諾するはずもない。それでも嫌がるアレスにデルムッドがこっそり、断り続けるとどんな卑劣な手でオイフェが参加させるか、をアレスにささやくのでとうとう承諾してしまった。
それでも、どうせ相手はアレスのことを認識なんてしていないし、見たいのはどうせミストルティンだ。
とおもえば、着飾らせたデルムッドにミストルティンでどうにかなるだろうと本気で思う。デルムッドは従弟だし、何だかんだで顔つきや醸す雰囲気は似ている、とよく言われる。
という趣旨のことをリーンに言ったら、えええ、と不満の声が上がった。
「いやよぉ、あたし、着飾ったアレスみてみたいわ」
「着飾るのも嫌だし踊るのもごめんだ」
「でも、絶対にアレス、似合うわよ」
「まだ服だって見てもいないだろう……」
ただでさえ大きな瞳をキラキラと輝かせ、アレスを見上げるリーンを直視してはいけない。目を離せなくなってしまうし、つい頷いてしまいそうになる。
「見なくてもわかるわ! 想像だけど」
「想像じゃないか」
「そうね……」
すこしだけリーンがしょげた様に見えて慌ててしまう。転がり、リーンと寝台の上で向かい合わせになると、両手でリーンの頬に触れた。
その瞬間に、リーンの頬が上をむく。
「想像でしかないから、アレスが着てみせてよ!」
しょげてなどいなかった。全くしょげてなどいない。予想外の言葉にアレスは言葉が出ず、一度ぽかんと口を開けてリーンのこぼれる笑顔を眺めた後、大声で笑った。
「なによ、笑わなくったっていいでしょう。いつだってアレスと踊れはするけど、着飾ったアレスはこういうときじゃないとみられないじゃない」
不満を表して頬を小動物のように丸くふくらますリーンに、さらに笑いがあふれてしまった。
「俺は踊らない」
「あたしと一緒でも?」
「踊らない」
背を丸めてどうにか笑いを止めると、んもう、とリーンの力のない拳がアレスの腹をくすぐった。
「いいでしょ、いつもあたし踊るとき一人だし」
「ああ、いつも見てる」
「たまには一緒に踊りましょうよ」
「踊りが違うだろう」
「そうだけど」
小さく形のいい唇がツン、と突き出される。上唇を摘むと、上目づかいににらまれた。
リーンが、もちろんいつも一人で踊っているのを不満に思ってないことは知っている。むしろリーンは自分の踊りの世界を壊されるのは嫌いだろうし、そこに関しては職人なのだ。素人のアレスの出る幕ではないと思っている。
「一人が嫌なわけじゃないだろ」
「当然よ」
でも、と唇をつままれたままリーンは続けた。「アレスと一緒、っていうのはちょっとすてきだなって思うし、やっぱり、アレスの格好いい姿見てみたいな」
「いつも格好いいだろ」
ぺちん、といい音を立ててリーンの掌がアレスの胸筋を叩いた。
ばか、と掌が語っている。
つまり、そうだ、という意味。
満足のいく答えに、アレスは鼻を鳴らした。
「アレスの、着飾った姿、見てみたいの」
「リーンも着飾るなら俺もする」
ぽんと思い浮かんだのは妙案だった。なるほどこれは面白い。考えただけで胸が高鳴るし、なるほど、着飾る姿をこうも望むリーンの気持ちもよくわかるものだ。
「え?」
「オイフェに交渉してやる、リーンも同伴するって。花も必要だ」
「あたし? 着飾るって何?」
リーンは豆鉄砲をくらった鳩のようだ。自分の胸元を指さして、え、え、と何度も繰り返す。
「一人くらい増えたって構わんだろう」
「か、構うでしょ」
「構わん。むしろリーンがいかないなら出ない」
「やっぱり着飾るってそういうこと?」
「当然」
そうと決まれば、とアレスが上体を起こすと、まって、とリーンは慌ててアレスの腹に腕を回した。
「決まってない!」
「決まった。着飾るんだろ」
「アレスだけでいい」
「一緒に踊るんだろ」
「あ、あたし、踊れない」
「俺の方が踊れない」
たしかに、と小さい呟きがきこえて、納得するな、とリーンの髪の毛をぐちゃぐちゃにかき回した。
「よく知らんが、お姫様みたいな服になるんだろ」
「わかんない……」
「きっとそうだ」
お姫様みたいな服がよくわからないが、きっとリーンなら似合うだろう、と想像してみる。お姫様、お姫様か。母のような服だろうか、とぼんやりと記憶の中の母が来ていたようなドレスを思い浮かべる。当然霞がかった記憶だが、腰下から広がったレースの多いスカート。
いつもの動きやすい服とは大違いだ。踊りの服とも、今みたいな質素な服とも。それでもリーンならどんな服でも似合うだろう。似合わないとしても、そんな姿を見るのもいいだろう。どんなリーンだって可愛いものは可愛い。
「ほら、オイフェのところに行くぞ」
「行く前に服着て」
腹にしがみつくリーンを引きずって立ち上がった。上半身、裸だったのを失念していた。すでに引き留めるのをあきらめ始めているリーンを一度引き離し、手ごろな服を探す。
「リーンはいかないのか」
「……どっちのはなし」
「オイフェの部屋」
「いく」
寝台にへたり込んでいたリーンは、しぶしぶ、といったのろまさで髪を手ですき始めた。低い位置で一つにまとめる。
「きっとオイフェ様がとめてくれるわ」
「ほんとは行きたいくせに」
帰ってきた答えは、ぺちん、という掌だった。