夜は素直がいい 2


 リーンは踊り子なので主に夜、宴のある時が一番の勝負時である。普段姉御肌で何かと世話を焼いてくれるレイリアも、この時ばかりはリーンにとって敵といっても差支えない。お互いにピリピリしてしまう。
 もっとも敵といえるのは踊りの場だけで、踊りに呑まれたら終わりということである。実際に蹴落としたり姑息な手を使って舞台に出られなくしたり、という馬鹿らしい嫌がらせとはリーンもレイリアも別の次元にいる。
 二人は、ダーナ領主ブラムセルが抱える踊り子のなかでも特別気に入られた存在であった。ある程度の自由が許され、個室も与えられている。多少の痂疲があるとリーンやレイリアがブラムセルにささやけば、罪のない踊り子の一人や二人、容易く追放することだって可能なのだ。
 それを皆わかっている。だから嫉妬や妬みに駆られてくだらない嫌がらせや姑息な手は使ってこない。のびのびと踊れるのだ。
 実際ブラムセルに一番気に入られているのはレイリアである。リーンはレイリアに目をかけられていること、アレスが何かと世話を焼いてくれることが大きい。
 リーン自体とブラムセルが直接関わる機会はとても少なかった。
 リーンとしては、踊りは好きなのでお抱えとして定期収入や住む場所を与えてくれる存在としてのブラムセルはありがたいと思うものの、全身を舐めつくすようにねっとりとした視線や下卑た言葉、態度は一切好ましくない。
 仕事でなければあんな男の元にはいないだろうと常日頃思うくらいだ。
 しかしこの仕事は好きで、もとは母の面影をたどって始めたことだったが、天賦の才もあってのことだろう、踊っている間は様々なことを忘れられて、踊りの世界に打ち込めるのだ。
 今夜の宴は傭兵団を束ねるジャバローを迎えてのものだった。
 ジャバロー率いる傭兵団はアレスの所属するところである。ジャバローはアレスにとって育ての親も同じで、小さなアレスをここまで育て上げた恩人であるという。
 はにかみ語るアレスの顔を思い出しながらも、リーンはどうにもジャバローにもいい感情を抱けない。
 癖のある金の髪、もみあげに続くあごひげ、太い眉の下からのぞく、底知れぬ冷たい目。
 踊り子を眺めて目じりを下げることはあっても実際は鋭い眼光は変わらない。よくいる、踊り子を商売女と見下す輩の一人だと割り切ればいいのだが、それ以上に得体のしれない何かを感じてしまうのだった。
 リーンがアレスに肩入れしすぎているからかもしれない。きっとアレスのほうがジャバローよりも強いはずだとリーンは信じている。それでもアレスはジャバローに従っている。そこが不満なのかもしれない。
 もっともアレスを介してしかジャバローとの接点はなく、きっとこれからも増えることはない。
 爪弾き震える弦がリーンの出番を告げる。
 ぐっと曲げた膝を使って高く跳ねた。手首を動かせば生き物のように踊り布はリーンを包み込む。
 音楽に合わせて体を動かしているのか、リーンの動きに合わせて音楽がなっているのかわからなくなる瞬間がリーンはすごく好きだった。
 没頭すると、逆に周囲が良く見える。
 珍しく主賓の席にいるジャバロー。隣でいやらしい笑みで踊り子の体つきをじっと見ながら、ジャバローに酒を勧めるブラムセル。ジャバローの後ろに控えながらも、給仕の女に色目を使われるアレス。豊かな胸元の曲線がアレスの太い腕に押し付けられる。
 でもアレスはリーンの踊りを見てくれている。
 リーンはアレスの恋人になれなくても、妹の立場としてアレスの心にいる。
 きっとそれを満足するべきなのだろう。
 ゆったりとのばした指先で音程を感じる。人差し指の爪が目に見えない弦をはじいてリーンの体から音楽と踊りがあふれだす。
 上げた腕をおろし、まわり、飛ぶようにリーンは踊り、やがて音楽が途切れれば肩で息をしないように全身に力を込めて息をひそめ、深々とお辞儀をする。
 パッと顔を上げた瞬間、アレスと目があったように思えて胸が暖かくなる。
 次に踊るのはレイリアだ。邪魔にならぬように急ぎながら、しかし優雅に見えるような足取りで場を譲った。
 ブラムセルはよほど酒が進んできているのか、一番のお気に入りのレイリアの出番だというのに酌に来た女の腰を抱いて大きな声で笑っていた。
 ジャバローはアレスと何やら話し込んでいる。先ほど目があったと思った時、アレスは柔らかな表情をしていたのに今は唇をきつく引き締めている。
 真剣な話なのだろうか。例えば傭兵団とダーナの話とか。
 これまでジャバローが正賓としてここまで豪華な宴を催されたことはなかった。過去にないことだ。ジャバローはただの傭兵団長である。グランベル帝国の貴族たちとは違う。
 何かあるのだろうか。
 ふと、他の踊り子たちが数日前にしていた噂話を思い出した。
 バーハラの悲劇の主人公たるシグルド、その息子が蜂起したと。名前はセリス。イザークの王子シャナンとシグルドの忠臣オイフェの協力を仰ぎ、北の隠れ里ティルナノグから打倒帝国の声と共にイザークを南下していると。
 バーハラの悲劇は、市井ではそこそこ有名であるが貴族の前では決して口にしてはならないと不文律を持つ悲劇である。主にグランベル帝国に不満ある者たちの間で、おとぎ話や神話のようにも語られている。シグルド様はセリス様を残していかれた、セリス様こそは最後の光、と。
 そのセリスが。身を潜めていたイザークで。反旗を。
 傭兵アレスと近しいといっても、リーンは戦闘を間近で見ることはない。巻き込まれたとしても単なる喧嘩で、命の奪い合いたる戦乱は、あることは知っているが実際は遠い話だった。
 しかしセリスの蜂起が本当なら、きっとグランベルに肩入れしているブラムセルは当然怯えるだろう。
 ダーナは交通の要所であり、文化の入り混じる地。イザークからグランベル帝国へと進むには砂漠を越える必要があり、砂漠越えにダーナは欠かせない土地だ。
 ブラムセルはもともとダーナを拠点とした商人で、ここダーナの重要性を誰よりもわかっている。
 この地の利を生かしてブラムセルは儲け、領主の地位に上ったのである。
 セリスの蜂起が本当だとしたら、セリスの進軍を恐れたブラムセルが正式にジャバロー率いる傭兵団をダーナの守護兵として雇い入れたとしてもおかしくない。
 傭兵団はつわものぞろいの大規模な兵だと聞くが、ブラムセルはそれを雇い入れても揺るがない財を持つ。
 今日はその宴なのではないだろうか。
 リーンは胸に手をあてた。鼓動が早い。先ほどまで踊っていた名残りか、それとも戦乱が傍に来るという不安か、アレスが――ダーナに傭兵団が平時常駐するならば、アレスがこれからずっとそばにいてくれるという期待からか。
 宴の会場からはレイリアが得意とする妖艶な曲が聞こえてくる。そろそろ後半の盛り上がり部分に差し掛かるところだろう。
 レイリアの後は踊り子たちが全員集合して踊る。ふたたびリーンにも出番が回ってくる。
 リーンはレイリアの横、主賓の正面に立って踊る。ジャバローの、アレスの目の前。考えると、また鼓動が早くなる気がした。
 リーンは胸にあてた手を強く意識した。

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