コノートは海に程近い場所だったが、ファバルが育った孤児院からは海が見えず、潮風を感じることもなかった。
そんなことをぼんやりと思い出す。別段解放軍が駐屯しているこの小高い丘から海が見えるわけでもなければ、孤児院からの景色に近いというわけでもない。思い出すきっかけは何もないはずなのに、ぼんやりとくれていく空を見ていたら思い出したのだ。空に雲は少なく、巣に帰る鳥もいない。傾く太陽があるだけだ。
遠くまで来たということだろうかと、遠ざかる陽をぼんやりと眺める。
空は段々と薄闇の支度を始めているが、まだまだ昼間の明るさが残っている。ファバルがあさっての方向へ射てしまった矢を探すのはまだ猶予がありそうだったが、早々に切り上げたい。よりによってその矢がお高い猛禽の尾羽を使っているのでなければ、ここまで躍起になって探す必要もなかったのだ。
仕方がないと腰に手をついて背をそらし、軽く伸びをすると再びふらふらと歩みを進めた。
夕闇がおりきってしまっても見つからないようなら諦めたほうがいいだろう、一度飛ばしてしまった矢だ。尾羽が綺麗に残っているかもわからない。それでも貧乏性というやつは中々抜けないし、こうして値の張る矢をいくつかもてるほどの金を手にする立場になっても、惜しいと思うのが猛禽の尾羽である。弓使いの宿命といってもいいのかもしれない。
手持ちの小刀で藪を払い、込み入った茂みを歩く。いつの間にか孤児院のことを考えていた。海を知らない孤児院の子供たち、今はセリスの計らいでファバルとパティがもらうはずの金の一部をまわしてもらっているのだが、孤児院は今も無事だろうか。
孤児院にはファバル以外にも武器の扱いに慣れているものがいたが、それでもまだ皆子供だ。このご時勢にあっては引き取り手など現れることもないのに、さまよう子供の数は増える。ファバルの謀反により孤児院にいつ何時子供狩りの手が入るかもわからない。もっとも、それに関してもセリスは心配ないと手を打ってくれたようではあるが。
ファバルは考えるのが得意ではない。政治、策略といったものにもとんと明るくなく、信じられるのはただ己の体一つである。これまでは自分が必死に駆けずり回り弓を引くことで孤児院の平穏が保たれていたが、今は違う。セリスは頭も回る男だった。こうしてなくした弓を探す間も、あの場所は守られているのだ。そのことがなんだかとても不思議で、そして少し寂しくもあった。
孤児院に送られる金はファバルやパティの努力しだいで増減する、それを思えばファバルが支えているといっても間違いはないのだろう。だがどこか、少し遠い存在になってしまったという思いもある。
そう、今は沢山の考えることが出来てしまい、それを考えるだけの時間もできた。以前傭兵をしていた頃には考えられなかったことである。
あのころはただ、自分とはねっかえりの妹、孤児院のことだけを考えていた。汚い仕事でも孤児院のためならば何でも行ったし、パティの危機と知ればどこにでも駆けつけた。頭の中にあるのはそればかりで、あとはへとへとになるまで体を動かした。資本の体を毎日酷使していることは変わりないが、それでも附属するさまざまなものが変わってしまった、とおもう。
探している矢だってそうだし、着る服すらも以前よりも小奇麗になった。もっとも、傭兵のときよりも頻繁に洗濯に回せているからかもしれないが。ファバル自身は変わっていないつもりだが、きっと以前の自分が見たら変わってしまったと肩をすくめるのだろう。変わった自覚のないファバルは代わりに口笛を吹いた。孤児院でよく聞いた歌だ。歌詞までは覚えていないが、よく孤児院の少女が歌っていた。どこから覚えるのか、気がつくといつも新しい歌を口ずさんでいた少女である。
今思えばその道の才能でもあったのだろう。何かのチャンスがあれば、それこそリーンのように才能を発揮して別の道を歩んでいただろう。それも叶わず今も孤児院で暮らしている。
孤児院の暮らしは困窮していたが、とても充実していた。食べるものが満足に手に入らなくても、年端もない子供たちから年長のファバルまで、団結しみなでできることをこなした。働けるものは働き、金品を持って食料を稼いだ。
偏った食事だったのだろう。傭兵で各地へ訪れるようになり、幾分か舌が肥えた。料理の好き嫌いも出た、甘いものも知ったし、酒もおぼえた。それでもファバルにとっては何よりのご馳走は孤児院の皆で食べる手作りの料理だったし、その日にある食材を煮込んだスープが一番の好物だ。
解放軍を居心地がいいと思うのは、どことなく孤児院に似ているからだろうか。
出自の異なるものが寄り合い、みながみなのために各々の仕事をこなす。できないことはできる者が行う。できないものはできるように訓練する。
それぞれが異なった目標を持ちながら、ゆっくりと前に進んでいる。
セリスは父の汚名を雪ぎたいといった。帝国を倒し、世界に光をもたらすのだそうだ。
ラナはそんなセリスを支えるのだという。優しい眼差しでセリスの後姿を見つめながらも、ラナの握る拳には誤った道へ進まぬようにと不安の混じる祈りがある。
フィーは別れた兄を探していたといい、アーサーも妹を探していた。
ファバルは生きる場所を守りたかった。正義だ悪だと小難しいことは考えられない。自分のいる場所がファバルは正義だったし、このまま突き進めば孤児院が安泰だという。だからこうして弓を引くのだ。
さまざまな考えあっても、帝国から見ればファバルも一介の解放軍の兵で、打倒帝国を掲げているように見えるらしい。不思議なものだ。解放軍に参入するまではこんなことは考えなかった。面白いことだ。昔はただ何も考えていなかったのだろう。それで孤児院が守られるのならば良かったのだ。
藪を払って一息つくと、鮮やかな夕日が幹の陰から草木を照らす。もう直ぐに日隠れる、猛禽の矢は諦めようかと思ったそのとき、夕日が視界の端で跳ね返る。
近寄ると、矢尻の曲がった矢が落ちていた。猛禽の羽もくくり方も、間違いのなくファバルのものである。拾い上げ点検すれば、矢尻を変えればまだ使えそうだ。軽く安堵の息を吐き、ファバルは藪から出た。
小刀をしまい、矢を分けて矢筒に戻す。弓を背負いマントを羽織、帰り支度を終えると夕日が丘の端に沈もうとしていた。木々の長い影が大地をうねり、薄い雲の隙間からまっすぐにファバルの下まで光が押し寄せる。
そういえばファバルが始めて海を見たのはこんな時間帯だったかもしれない。場所はもう忘れてしまった。コノート付近の海なのか、それとも傭兵として遠出をしたときなのかはもう覚えていない。ただ幼かった覚えがある、異質な潮の臭いに驚いたものだ。
孤児院の子供たちは海を見たことがない。ファバルは海に別段の思い入れはないが、パティは案外好きだといっていた。他の子供たちは同思うだろうか。
この戦いが終われば、ファバルも孤児院へ戻れるだろう。大量の食料を土産にすることも、彼らが見たこともないような宝飾品を手に帰還することだってできる。
そうして落ち着いたら皆で海をみにいこうとおもう。孤児院の一番小さい子はいくつになるだろうか、ファバルが解放軍に入る頃に、ようやく一人で歩けるようになったくらいだった。つたない言葉でその驚きを教えてくれるに違いない。
沈む夕日を見つめながら、ファバルは矢筒を繋ぐ革紐を強く握った。
16.01.03/{#FE25周年なのでリクエストされたFEキャラを描く}