解放軍時代にはお話しすることもなかったのに、同じ公主となってからは、なぜか茶飲み友達のような、気まずい親密さのある仲間になってしまった。
オイフェさん。
代理だと言いながらもお一人でシアルフィの公主を務めている。セリス様がゆくゆくは座るべき地位だと言いながらもそれが来ないことを誰よりも知る方。わかっていらっしゃるのに諦めのつかない方。
わたくしの治めるフリージとは、ヨハン公治めるドズルを挟んでグランベルの北と南。
距離も近くないのに、なぜか定期的に文を交わし、茶を飲むのはなんの因果だろうか。
話す内容は政治のことと過去のこと。愛想もときめきも全くない。妙齢の女性であるわたくしにとってはなにも楽しくもない。
本当に気の重い、面倒にしか思わないこの茶会がいつしかわたくしの気晴らしにもなり、次はいつかと楽しみに思う時も来るのでしょうけれども。
今は。まだ。
オイフェさんはセリス様の父君の臣下であったと言うけれど、わたくしから見れば立派なセリス様の騎士だった。
白馬の、青空になびく髪の、あの清廉さを守る騎士。笑わず、緩まず、誰よりも気を張り詰めて終戦にこぎつけた第一人者だと。
それ故に重大な戦局に関わり、何人もを殺めるその場に居合わせた。暗部を見、知り、時に作り出し、そして選択した。何がもっともセリス様のーー今後の世界の未来に繋がるのかと。
だから、なのかもしれない。
わたくしの、一番に窮地に陥った時の、優れた選択。それを知っているからこそ評価につながったのかもしれない。解放軍への参入を。伯母を殺したことを。好ましく思っていた従姉を殺したことを。
ある時オイフェさんが口にしたのは、果たしてイシュタルは真に忠義であったのか、だった。
前置きもなく、果たして、とは礼儀も何もないと思えど、ここではいつもそうだ。言いたいようにオイフェさんは語り、私は相槌を打つばかり。
「イシュタル姉様に忠義はなかったとおっしゃりたいのですか?」
「ないとは言わない、あれもある種の忠義なのかもしれないが……」
オイフェさんはすぐに持論の破綻に気がついたのか、一度首を振ってお茶を口にする。
シアルフィの名産のお茶は、香りが高く色が薄い。後味がさっぱりとしていて、爽やかだ。だから、くどいくらいのしつこさが好きなわたくしには、少しだけ物足りなさを感じてしまう。
「誰に対する、いや、何に対する忠義だったのかと」
「つまり、その信念の対象ですか」
「信念。ふむ、そうかもしれないな。イシュタルは誰に仕えて、誰を守り、誰に捧げていたのか」
「あら、それは……」
呼び名を悩んで、わたくしは言葉を止める。
「そこだ」
オイフェさんがしたり顔で笑う。わたくしは腹立たしいまでに幼く感じる笑顔を見て見ぬ振りすると、気取った手つきでカップを持つ。
「……ユリア様はなんと?」
「なんと、とは?」
「あの方にお会いしたのでしょう。最期。ユリア様は、あの方を、誰と捉えられていたのでしょうか」
「……」
最期。その場にオイフェさんは確かにいた。オイフェさんが居合わせなかった重要な場面などあっただろうか。
わたくしはいなかった。
わたくしは、バーバラの場内に入ることもなく、はるか高くそびえ立つ尖塔を眺めただけだ。大半の兵士たちはそうだった。
戦いは、あっけなく自分たちの知らないところで終わるのが常だった。
「ユリア様は」
オイフェさんの口は急に重たくなる。
「……兄は、もういない、と」
「では」
わたくしは静かにカップを置く。こんな話をしたいはずではなかったのに、いつも以上に場が重い。この手の話題は好きではない。だがオイフェさんは好きなようで、今後の話や概念的な政治論よりも解放戦争の話題が上がることは少なくなかった。
過去にすがりついて何になるのかと思えどもそれを口に出す度胸はわたくしは持ち合わせていない。
「すでに、ユリウス様ではなかったと」
「しかしイシュタルの考えはわからない」
その言外の含みがわからぬほど温室育ちではないが、本来なら気が付かないふりをしたい。
「まあ! ……もしも別離に気がついていたなら、もしもそれがオイフェ様だったら、どうしていらっしゃったの」
オイフェさんは、いまだ伸ばし続ける鬚をさわる。毎日整えているのか、乱れた姿を見たことがない。口ひげも、髪の毛も、常にさらさらと流れている。
「もしも仕えていたのが皇子個人であれば、別離……乖離、といったほうがいいかな、侵襲でもいいだろう。それは別人だ。仕える相手ではない。むしろ相手は反逆者と同じだ、使えるべき相手を奪ったのであるから。
「もしも皇子という立場に仕えていたならば、大切なのは地位でありつまりは外形だ。内面など問題になれない故、侵襲が起きようとその程度も問題にならない。信を貫くべきだし忠を尽くすべきだ。
「王家……その血筋……に仕えていた時、それが一番問題だ。王の子ではあるがその体に流れていたのは果たして何の血だったのだろうか。かの皇子は光と闇……そして炎の末裔であった、それは間違いがない。光の紋章はユリア様が継がれた。かの皇子は、晩年は闇をその身に宿していた。さて、幼い頃はどうだったのだろうか。何が皇子を変えたのだろうか。……仕えるべき血筋とは何だったのだろうか」
わたくしは、ゆっくりと残っていたお茶を飲み干した。後味は爽やかですっと喉を通り抜ければわずかに端に残る香りだけ。あっという間に存在感は消えてしまい、面影がしのばれるだけ。
終わってみればすべてはそんなものだ。あの戦いだって、苦しかったわたくしのフリージでの虐げられた生活だって、シレジアで逃げ隠れていたらしき、両親と兄との生活だって。楽しい思い出も苦しいつらい記憶も、すべて。
残るのは面影で、少しの香りだけだ。思い出そうとしても、味もろくに浮かび上がらない。
そういうものだ。人生など。抗っても仕方がないのだ。受け入れ、受け流す。
「わたくし、最近はトラキアと貿易を始めました。リーフ様の政治戦略をご存知ですか? 惚れ惚れしました。感激いたしましたわ。流石はリーフ様だと。あの方は、血筋よりも、聖戦士の血脈よりも能力を、生まれ持った技よりも培った才覚を重視する方ですわ」
もうお茶はポットにも残っていない。これでつまらなく、堅苦しく、重たい話題に彩られたお茶会は政界になってしまうのだろう。
いつかもっと柔らかく、年頃の少女にふさわしく、心躍る会話がしたいと常思う。それがわたくしがオイフェさんとのこの逢瀬をやめられない理由なのだろう。朴念仁は気が付きもしないけれど。
「わたくし、セリス様のお生まれになるお子がどこの血筋を引いていようと、問題はないと思いますわ。才覚を磨きのばし、なるべき存在へと突き進むことが大切ではないかしら。ええ、たとえシアルフィの聖痕を持って生まれていようと。お忘れではないのでしょう。オイフェ様だって、シグルド様に仕えたのは恩義に報いるためだけではなく、シグルド様ご本人の才覚によったものだったのでしょう。セリス様に仕えたのだってそうだったではありませんか。セリス様が光の皇子とたたえられたのは、もちろんご母堂がディアドラ皇女だったということもありますけれど、セリス様のお人柄、あの求心力あってのものでしょう。わたくしは、そう信じています。
「もっとも、わたくしはただの公女で、オイフェ様と違って騎士ではありませんから、きっと信念も違ったものを持つんでしょうね。でも、常に考えております。血ではない生き方がわたくしに課せられた運命だと」
きっとその考えはオイフェさんは受け入れないのだと知っていながら、わたくしはにっこりと笑んだ。そうあってしかるべきと考えるのはわたくしの勝手な希望だけれど、いつか、その頸木から解き放たれればいいのにと願わざるを得ないのだ。