あたしの騎士さま


 ジャバローの傭兵隊がブラムセルに雇われたのは、ちょうどリーンがブラムセルに雇われたのと同じくらいで、それがリーンとアレスの出会いだった。
 ダーナに育ったリーンにとって傭兵団は珍しいものではなかったが、お近づきになったことはなかった。いつも遠巻きに見ていただけだ。ガラの悪い男どもが多い中、一人、アレスだけは周りと少し雰囲気が違った。その違いは今でも上手く言葉に表せないけれど、いつだったかにアレスがこっそりリーンだけにと教えてくれた生まれにあるのかもしれない、と思う。
 アレスのお父さんは、有名な騎士だったんだって。巷で人気の悲劇『バーハラの悲劇』の主人公シグルドの知り合いだったのに殺されてしまったって。
 それが本当なのかリーンには分からなかったけれど、アレスが大切にしていて滅多に人前に出さない剣を、リーンだけに内緒でって見せてもらった時に本当のことだって思った。
 武器のことは何もわからないリーンだけど、素直に美しいと思った。人を殺す道具なのに、美しいなんて変だねとアレスに笑うと、まんざらでもない様子で鼻を鳴らしたアレスのことを、リーンは今でも覚えている。
 あの剣はお父さんの形見だと言っていた。
 小さなときに修道院に捨てられたリーンには、親の形見はない。でもお母さんが踊り子だったらしいと聞いて始めたこの踊りがは、あえて言えば形見なんだなと思う。そう考えれば、リーンが踊り子であることを大切にするように、アレスがあの美しい剣を大切にするのもよくわかる気がした。
「なんで内緒なの?」
 一度聞いたことがある。なんだかもったいなくて、アレスがこんなにも綺麗なものを持っている凄い人なんだよとみんなに知らせたくて、こっそり聞いてみたのだ。
 アレスは強いと聞いた。傭兵団長のジャバローが、その腕を買ってわざわざ育て上げ大切にしているらしいって。リーンはアレスが闘っているところを見たことがないけれど、戦いから帰ってきた後はあまりケガもせずに帰ってくるからきっと強いんだと思う。そんなアレスなら、この剣を見せびらかしていても、狙われても、問題がない気がするのに。
「見せるようなもんじゃない」
「そうなの? きれいなのに」
「……剣は、剣だ」
「ふうん、そういうものなの」
 本当はそれがアレスの出自を明確にするもので、アレスはまだそれを黙っていたいのだということを後でしった。この時リーンはまだ、シグルドに殺されたというアレスのお父さんが誰なのか、わかっていなかったのだ。少し考えたらわかったかしら、と後で思っても、きっとわからなかったと思う。リーンにとって、アレスはアレスだったから。立場とか、身分ではなくて。
 もしかしたらそれはアレスにとってもそうだったのかも。リーンを踊り子ではなくてただのリーン、一人の少女としてみてくれたから、他の傭兵団の人たちと違って思えたのかもしれない。
 別に何をするわけではない。リーンをお金で買うことも、いやらしい目で見ることもない。リーンを大切にしてくれて、ただの町娘のようにもお姫様のようにも扱ってくれた。とはいってもきっとアレスには無意識のことなんだろうな。道端で、段差があれば手を貸してくれて。無茶なことをしようとすれば守ってくれて。間違ったことをすれば叱ってくれて、でも、リーンが正しければ味方になってくれて。
 それがリーンにとっては新鮮だったし、うれしかった。ブラムセルの踊り子としてではなく、ただのリーンとして扱ってくれたこと。
 出逢った頃から今までアレスの態度は変わらなくて、黙っていればハッとするほどきれいな顔立ちをしているのに、口を開けばちょっと意地悪で、素直じゃなくて、でもリーンを優しく見守ってくれるその瞳が大好きで。
 日がな一日、その瞳を見ていたいなって暇なことを思っては馬鹿だなって笑われるのがリーンは好きだった。
 リーンは暇になると何かとアレスの部屋に行く。やとわれの傭兵団とはいえ、ブラムセルとの付き合いは長く、ダーナにいる期間も長かった。それなりの地位にいるアレスは恩恵にあずかり、寝台と粗末なテーブルと一人掛けのソファだけの、広くはない個室をもらっていた。
 リーンは共同の部屋である。いくら気に入りとはいえ所詮リーンはブラムセルにとってただの踊り子ということだった。気の置けない数人との部屋割りだし、これまでも個室がほしいと思ったことはない。それでも、アレスの部屋に行くと一番にリラックスできると感じるのだった。
 今日はアレスは寝台に腰かけて何やら武具の手入れをしているようだった。寝台に色々とわからない品が転がっている。
「ソファのほうがやりやすいんじゃないの」
 ノックもせずにリーンがドアの隙間から顔をのぞかせても、アレスはみじんも驚くそぶりも見せず、怒りもしない。ニッと口の端をゆがめ、寝台に散らばるあれやこれやを乱雑にまとめて、枕の側へぽいと放る。
「お前の座るところがないだろ」
 ふふ、と喉の奥で笑ってリーンは跳ねるように部屋の中に入った。底の薄いサンダルを脱いで、裸足で毛足の短い絨毯の上でステップを踏む。トトン、と跳ねて寝台へ。
「おい」
「いいじゃない、あたしの特等席よ」
 アレスの膝の上に頭を載せて寝転んだ。アレスの身長に合うように作られた寝台は、まだ成長途中のリーンには大きい。足を曲げて寝転ぶと、つま先だけが寝台の外に出た。
「んー、アレスの脚、ちょっと高いわ」
「低くできるか、そんなもの」
 嫌そうな口調だだが、口元に笑みが浮かんでいるのは分かっている。暫くごそごそと位置をととのえ、これでいいわと満足できる場所を見つけたときを狙って、アレスが優しくリーンの髪をなでる。
「何かあったのか」
「別に何もないわ。ただ――なんだか、さわがしくなってきたわね、とおもって。もしかして、戦争でも始まったの?」
 何気なさを装った言葉に、アレスはからっとした声で短く笑った。
「そんなたいそうなもんじゃない。いろいろイザークの反乱軍のうわさが近づいてきたからな、それに備えて準備をしているだけだ」
 イザークの反乱軍のうわさはリーンの耳にも届いていた。ブラムセルがあれこれと画策しているのも知っている。たしか、国境を閉ざしてしばらく様子を見ると言っていた。それならば、と安心してリーンは息を吐いた。途端、体から力が抜ける。やだな、こんなに、あたし気を張ってたんだ。アレスが戦争に行くかも、なんて――。
「そう、良かった。アレスも行くのかなって、ちょっと心配しちゃった」
「戦いになれば俺も行く」
 リーンはびっくりして目を見開いた。勢いよく体を起こしてアレスを見つめると、行き場をなくした手と困惑した表情のアレスがいる。どうしたんだ、という表情。
「俺も行く、傭兵だからな。それに、反乱軍を指揮しているのはあのシグルドの息子だというし……。できれば俺の手で、倒したいと思っている。父上の仇だからな」
 あれこれといいたい言葉があふれだしそうになって、リーンはギュッと口を結んだ。一度頬を膨らませて、アレスの脚に突いた両手を意味もなく動かして。
「リーン?」
 大きく、わざとらしく、ため息を一つ。
「あはは、まだそんなこと言ってる。バカね!」
 力が抜けたように、困ったように、笑ってみせた。
「あなたのお父さんもそのシグルドっていう人も、騎士だったんでしょ。だったら人殺しが仕事じゃない。あたしだって、いやらしい男たちの前で踊るのはイヤだけど、これも仕事だからとガマンしてるの! 生きていくためには仕方ないじゃない。
 だから、それを逆うらみするなんて、男らしくないと思うな」
「リーン……」
 アレスは少しだけ眉をひそめてしまった。困って、リーンは唇を突き出す。暫く逡巡していたものの、そのうちにアレスはリーンの肩にそっと手を置いた。
「わかった。もう少し考えてみる」
「そう、よかった」
 リーンは晴れやかに笑う。にっこりと、花の咲くように。そしてアレスに横からギュウと抱き付いた。片頬を、ぴったりとアレスの脇腹につける。
「俺だって、わかってはいるさ……」
 聞き逃しそうな小さなつぶやきが、アレスの骨身を伝ってわき腹に抱き付くリーンの耳に届いてしまう。本当は聞かれたくないんだろうな、っていうつぶやきを、本当は見せたくない笑顔を張り付けたリーンは聞き流す。
 わかってほしいことは、きっとアレスには伝わってない。復讐なんてやめてほしいっていう話じゃない。もっと、本当は、根本のこと。
 やめられるわけなんてないってわかっているけれど。
 生きるためにしかたないってわかっているけれど。
 戦いなんていかないでほしい。ずっとリーンの傍にいてほしいって。
 でもそれを口に出せないのは、アレスの部屋の片隅にいつも大切に置かれている形見の剣を知っているからだし、リーンがずっと踊りを続けているからだ。アレスが何を大切にしているか知っているし、どうやって生きているのか知っている。
 だから、言えない。言わない。
 でもたとえば、アレスが。アレスが傭兵をやめてしまったら? たとえば、ジャバローの傭兵団をやめてしまえば、ブラムセルの命令に従ってダーナのために戦わなくてよくなる。反乱軍との戦いだって、行かなくてもよくなるのかもしれない。
 馬鹿らしい考えだとわかっているけれど。
「――ねぇ、アレス。そうえいばあなたのお父さんは騎士だったんでしょう」
 リーンはアレスから顔を離した。アレスの体温がうつって、少しだけ寒く感じる。下から見上げたアレスの顔も、いつもの通りに整っていて、本当にきれいな顔だなとそれだけを考えれば自然にリーンはほころんで。
「ん、ああ。そうだ」
「あなたは今は傭兵だけど、騎士にはならないの?」
「なんだ、藪から棒に。さっきはあんなこと言っていたじゃないか」
 アレスが乱暴にリーンの前髪をかき上げた。その力が強いので、ああんと小さくじゃれるように悲鳴を上げて、リーンはそのままひっくりかえってしまった。
「ええ、だって、人を殺すのは傭兵だって騎士だって同じでしょう」
 必死に言葉を選びながら体を起こし、反動でぼさぼさになってしまった髪の毛をほどく。頭の上で一つに括っていた髪がばさりと背中に落ちると、アレスが優しく髪を手櫛で梳いた。
「まあそうだな」
 されるがままにリーンは目を閉じた。アレスはリーンの髪を触るのが好きなようで、特にこうやって下ろしたときに好んで触ってくる。手櫛で梳いて、意味もなく髪を分けて、指先に一房巻き付けて。
「騎士って、主を持たない騎士もいるっていうじゃない。あたし、そのほうがアレスにあってると思うな」
「なんだ、俺はそんなに一匹狼か?」
 アレスの声があまりに素っ頓狂で、リーンは喉の奥でくぐもった笑い声を上げた。
「アレス、狼っていうよりも、もっと立派な動物が似合いそう。そうね、えーっと、獅子とか」
「……」
 アレスの手が一瞬止まる。気が付かず、リーンはくすくす笑う口元を手で隠した。
「髪の毛が金色で、綺麗だもの。獅子ってたしか金色よね。昔に絵本で見たことがあるわ。かっこいいじゃない、獅子の騎士……変な名前だけど」
 おかしいわ、とつぶやいたリーンを、まったく、とアレスがあきれたように抱き寄せた。アレスの大きな胸の中に背中からすっぽりと抱きしめられると、リーンよりも高い体温がジンワリと伝わってくる。アレスの顎下にすっぽりとリーンの頭がおさまるので、なんだか一番居心地がいい気までしてくる。
「お前の考えは突飛でわからないな」
「そう? でも、それが楽しいでしょう」
「まったくだ。……なんにせよ、俺はまだジャバローに借りを返していない。そうすぐに抜けることはできないからな、それが傭兵団だ」
「え、じゃあいつかは騎士になってくれるの?」
 たのしみだな、と体を揺らすと、暴れるなとばかりにアレスがリーンの体に腕を回した。くすくすと笑うと、わずかな振動がアレスの体に伝わるようで、やはり心地いい。
「ああ、それも悪くない。主がいない……黒騎士、か」
「黒騎士? それもいいわね! アレスは鎧も黒いし、格好いいわ!」
 獅子の騎士よりも何倍もいいわね、とリーンは無邪気に笑った。