坂を駆け下りると、先ほどとは別の草むらからラクチェが飛び出してきた。胴体に飛びつこうとするラクチェをすんでのところで躱し、バランスを崩しながら立ち止まった。
草の上に投げ出された状態のラクチェが勢いよく立ち上がり、服についた草を払って笑う。
「よけるなんてなかなかやるわね」
「奇襲に出るほど余裕なくなったのか」
スカサハも笑うと、余裕ぶって、とラクチェは口だけ悔しそうなことを言いながらつかみかかるふりをする。
「ラナと何してたの?」
「水汲みしてたみたいだから手伝ってた。冷たいのがほしかったんだって」
「ふうん、優しいじゃん」
ラクチェはスカサハの前に立ち、先ほどまで訓練をしていた広場のあたりへ先導しようとしている。跳ねながら進む妹の後を、スカサハは一歩ずつ踏みしめるようにゆっくりと進む。
迂回して開けた道を進めばいいものを、ラクチェは最短距離を進みたがるから、時々足場が悪い。低く茂る草木を払いながら、可憐に咲く白い花を見つけてはその花弁を指先でなぞる。
「……で、どしたんだよ」
用件を促すとラクチェは一度首を回した。
「シャナン様が呼んでたわよ。剣壊れちゃったじゃん、その話じゃないかな。どうするんだろう、スカサハの剣が壊れちゃったからってあたしの訓練まで休憩にしなくてもよくない?」
「よくないに決まってるだろ、ラクチェだけ訓練つけさせるなんて不公平だろ。しかも俺が悪いわけでもないのに」
「スカサハが悪くないの? あたしだって悪くない」
ぐずぐずといつまでもわけのわからないことを言い続けるのは、体力が有り余っているからだろうか。ラクチェは敬愛しているシャナンとの訓練を楽しみにしていたから、純粋に訓練だけのスカサハと違って中止になった衝撃も大きいに違いない。
しかし訓練の中止を残念に思うのはラクチェだけでないことは確かで、スカサハも十分に残念である。今日はなかなか好調でシャナンから一本とれるのではという実感もあった。それだけに残念である。
スカサハには剣士になってどうなりたい、という夢は特にない。確かに祖国イザークのために戦いたいと思うようになってきたが、それはここ最近ようやく剣の訓練が楽しくなってきたからかもしれないと思う。それまではがむしゃらに剣をふるっていたし、ひたすらにシャナンに向かい勝つことを考えていた。
力を得れば、その先が見えてくるうのだろうか。
そう考えると、スカサハは少しだけ怖くなる。剣技がうまくなる、シャナンから一本取る確率が増えるということは、スカサハが力を得るということは、人を殺すということだ。
それを実感するようになったのは最近のことだ。
殺す力を得て浮かれているのではないかと思うと少し怖い。しかし現状を、帝国に蹂躙されている祖国を思えば救いたいと考えるのは当然なのだろう。だが正直、そこまで胸を張って言い切れる自信がない。
きっとラクチェは胸を張ってイザークのために戦うと言えるのだろう。ラクチェは強く、既にシャナンから一本を勝ち得ている。スカサハよりもきっと筋がいいのだろう。双子であっても差が出るのだ。
ラクチェのひたむきさはシャナンに対する思いと比例しているのかもしれない。シャナンを敬愛し、信奉しているようにも感じる。
スカサハは、そこまでの思いはない。同性だからだろうか。シャナンは憧れる存在であるし、立派な人物だと思うが、シャナンやオイフェの言う「打倒帝国」「雪辱を果たす」をすんなりと受け入れられない。
それをラクチェに言うことはない。臆病者だと一蹴されるだけだろう。レスターやデルムッドにも言わない。もちろんラナにも。
ラナは上手くいかないと言っていたが、それならばスカサハだって行き詰っているのかもしれない。このまま強くなってどうするのか。何を目標に剣の腕を磨けばいいのか。
考えれば考えるほどわからなくなってしまう。溜息をつくと、ラクチェが一度振り返り、変なスカサハ、と笑う。
「シャナン様! スカサハ、連れてきました!」
草むらを抜けて短い草の生える広場には、美しい黒髪を首元で一本に縛ったシャンが立っていた。腰に愛用の剣を佩きながら日に背を向けて立っているだけなのに、とても絵になる。まっすぐ伸びた背筋、引き締まった体躯、頼りがいのある広い背中。
ラクチェが大きな声で駆け寄ると、シャナンは薄い唇を引き絞るように微笑んで振り返った。
「ああ、ラクチェ、スカサハ」
ラクチェは自分の頭をなでてと言わんばかりにシャナンに向け、シャナンは仕方なさそうな顔をしながら大きな掌でラクチェの髪をかき混ぜる。
「ふたりとも、そこに並べ。スカサハの剣が壊れたろう、それでオイフェと相談をしてきた」
「直りそうですか?」
「まあ聞け、お前らもずいぶん大きくなったし強くもなった。いっそのことこのまま、刃をつぶした剣ではなく真剣で練習させてはどうかということになってな」
「しんけん……?」
予想外の発言に、ラクチェもスカサハもすぐに呑み込めずにいた。
「真剣! え、ええ、シャナン様、刃がついてる剣で練習するっていうこと!?」
「ああ、そうだ」
「え、すごいすごい! わぁ、やったぁ!」
未熟なうちは刃のある剣では練習をさせられないと何度も言われていた、幾つ命があっても足りないと。それはラクチェやスカサハの命だけでなく、きっと訓練を行うシャナンの命を含めての話だったのだろう。
それが解禁される。本当の剣。触れれは斬り、いくらでも命を殺められる真剣を用いての訓練。それは自分たちの腕がシャナンに認められた証明であり、誇れることだ。現にラクチェは目を輝かせ頬を上気させ、喜んでいる。
スカサハももちろん嬉しかった。これ以上ない褒め言葉である。シャナンに認められたことは確かな自信だった。
しかし同時に、恐怖がある。人を殺す。人を殺せる。万が一間違えてしまったら、ラクチェを、シャナンを殺すかもしれない。そうでなくとも、真剣を受け取るということはこれから敵を殺すということである。
ラクチェは早くもシャナンにねだり、剣を渡された。引き締まり、鍛えられた両手でそれを受け取る。美しい剣だ。イザークの両手剣。グランベルの、オイフェやデルムッドが使っているものとは違う。控えめな鍔に、少し弧を描く鋼の切っ先。鞘にも柄にも装飾は少なく、伝統のイザーク文様が描かれているだけだった。
「どうした、スカサハ」
シャナンに促され、跳ねるようにスカサハはシャナンの傍に寄った。渡されてみると思った以上に重く、冷たい。ずっしりと吸い付くようにスカサハの手の中に納まっている。不思議なことだ、練習用の剣と大して変りがないというのに。大きさも、素材も、変わったようには見えない。
スカサハは自分の剣をスラリと鞘から抜く。陽の光を反射して輝く鋼は何物も寄せ付けない輝きが宿っている。冷たくて力強く、スカサハの顔を映す。
「……ラクチェ、ほら、浮かれるな。いいな、ふたりとも。これからそれあお前たちの剣だ。むやみやたらと振り回すなよ」
わかってます、と声をそろえて答えた。ラクチェのほうが幾分か声が大きい。シャナンは双子の気の合う様に少しだけ破顔し、練習を始めた。