ようやくセリスの杯の底が見えてくるころには、アレスはもらった瓶を空けてしまっていた。上等の酒の後では安酒の味の悪さが喉にこたえる。
もう一本位持ってきてもらえばよかったと思えども、正面のセリスは随分前から欠伸が止まらない様子である。
何度か部屋に戻れと促しても梃子でも動きそうにない。こうなったら酔いつぶして誰か迎えに来させる方が早いのかと、あきらめて会話を続けた。
親睦を深めるためとやらでつまらない世間話を随分と繰り返した。ほとんど中身のない会話だが、つまらないなりに時間潰しにはなった。
なんとかというセリスの故郷の話、育て親の話、デルムッドの話。あと何があったろうか。アレスの話も少しされた。背が高くていいとか、声が低くていいとか。声も体格も生まれ持ったものだからどうにもならないだろうと話すと、酒の強さもそうなのかと再び絡まれた。
飲み続ければそれなりに強くなるんじゃないのかと適当に答えれば、そうなのかもしれないとセリスはうなずいた。
「アレスは昔から飲んでいたの?」
「それなりにな」
実際はいつから飲んでいたかなんて覚えていない、傭兵の養い親との生活は健全なものではなかった。
「だからかな。僕もいまからでも、沢山、飲めば声が低くなるのかな」
「なんでいきなり声の話になる」
「ふわぁ……、羨ましいって言ったじゃないか」
また欠伸である。しょぼしょぼと目も閉じ気味だ。杯を持つのを諦めて、セリスは膝の上で行儀良く手を組んだ。
「そうだったか? 酒で喉を焼いたって、低くはならないだろう」
「そうかあ」
それからすこしして規則正しい息が聞こえた。椅子に座ったままの姿勢で器用に眠っている。
アレスはため息をついて、瓶に残った安酒の残量を確認した。半分を少し上回るくらい。空になるまで誰も来なかったら呼びに行くか、それともアレスが運んだ方がいいのだろうか。
一体全体、なぜアレスのところにわざわざ来たのかはわからない。くだらない、どうでもいい話のためだけに来たのか。
人付き合いの悪さを棚に上げ、こんな状況で交流しようとしなくても、と思う。
もしかしたらデルムッドに聞いたのがつい最近のことなのか、興味を持っていてもたってもいられず、か。
いや、今となってはそんなことはどうでもいい。
ほろ酔いになってきたアレスにとっては、寝こけたセリスをどうするかの方が問題だった。放置して、風邪を引いたり万が一襲われでもすれば一大事になるだろう。とすれば、一人でここに残すわけにもいかずアレスが運ぶしかないのか。
どちらにせよ面倒だ。しかしこれ以上することもなく、最後の酒を飲み干した。
「なんだ、もうセリス様つぶれちゃったのか」
「デルムッド」
暗闇の中からやってきたデルムッドは、何刻か前のセリスと同じく、酒瓶と杯を持っている。何だって今夜はこんなに来客が多いのか。
溜息をついてアレスは正面のセリスを顎で示した。
「ちょうどよかった、持って帰ってくれ」
「セリス様を? まあそのつもりだけど、ちょっとくらい飲んでからね」
飄々としてとらえどころがない。泥酔した盟主を心配するでもなく、その隣に腰かけてアレスに酒瓶を向けた。
「ああ」
躊躇わず、注いでもらう。匂いからしてそこそこいい酒のようだ。
「デルムッド、お前、迎えに来たんじゃないのか」
「様子を見に来ただけだよ、セリス様は酒に弱いからね」
そういうデルムッドはアレス程ではないが酒に強いほうなので、酒を勢いよく飲み、うまいとニコニコ楽しそうにしている。
「セリスに余計なことを言ったらしいな」
「アレスのことはそりゃ面白おかしくセリス様に伝えたよ」
「勝手なことしやがって」
「アレスがみんなと交流を持たないからね、こうして俺がアレスの正しい姿を広めて回ってるってだけだよ。みんなアレスのことは興味津々。俺は立派に役目を果たしてる」
「面白おかしくとか言った口で何抜かしてんだ。だからこいつが来たんだろうが……」
アレスの憎まれ口にもデルムッドは楽しそうに肩をすくめるだけだった。
「どうだろうね、とくにセリス様はアレスのことが気になっていたみたいだ。でも今日アレスのところに来てるとは思わなかったよ」
「知らなかったのか」
「セリス様の笑い声が変なところから聞こえてわかった。セリス様と三人で飲めるかと思ったんだけど、そうでもなかった。俺の読みもまだ甘いなぁ」
もっと早く来てくれという代わりに唸った。残念ながらデルムッドの表情を変えるには至らない。
しかし、デルムッドが持って来たのが酒瓶一つということは、ろくに長居する気もないということだし、話半分で聞くべきなのだろう。
「一体何しに来たんだ、この男は」
「なんだろうね。どんな話したんだ?」
はん、と鼻で笑った。情報でも引き出すつもりなんだろう。ろくにない情報を。
「気になんのか」
「そりゃね。セリス様とアレスが酒を交えて話をするなんて考えられない」
「なんも、ろくな話もしてない。酒が弱いとかなんとか。あああとお前の話も少し出たな」
意地悪ににやりと笑って見下ろすように顎をあげる。はは、とデルムッドは楽しそうに声を上げた。
「それは困ったな! セリス様は小さい頃のことをたくさん知ってるから、恥ずかしいこと言われてないといいんだけど」
デルムッドの話は出たが、もう中身を忘れたくらいどうでもいい話だった。面白い逸話の一つもなく、ただただセリスがデルムッドの事を話していただけ。何か言おうかと思っても特に出てこない。
「フン、楽しみにしておけよ」
「楽しみにしておくよ」
そういう返しも、デルムッドだから何気なくやり過ごせる。他の奴では腹が立って仕方ないだろうに、不思議な奴である。
「あとはなんだ、声がどうとか」
「声?」
もう会話の後半しか内容を覚えていない。無理もない、ただ管を撒いて相槌を打って酔う為だけの時間。
「なんだか、低い声になるために酒を飲むかって話だったか」
ふうん、とデルムッドは首を傾げて酒を飲む。再度アレスの杯に瓶の中身を注ぐと、半分も満たせず終わってしまった。いい酒は中身が少ないのと早く飲み終わるのが難点だ。
「確かにセリス様は少し高めだな、声。あまり考えたことがなかったけれど、低い声がいいのか」
「そんなもんか」
「俺に聞かれても。いやまって、もしかして俺の声って高め? 考えたことはなかったな。高さは分かんないけどさ、いい声してるなってやつはいるよね」
それこそアレスは考えたことがない。声に言いも悪いもあるものか。聞き取りやすい発音か、喋り方か、ならまだ分かる。
相槌も打たずに残った酒をチビチビ飲むアレスに、一気に行っちゃえよ、とデルムッドは促す。
「セリス様は聞き取りやすくていい。ちょっと高めの分、遠くまで聞こえるから。戦場でもセリス様の声が風に乗って聞こえると、すごくやる気が満ちてくる。心を揺さぶられるというか、闘気が湧き立つというか。でも自分の声は自分じゃ聞けないっていうしな、セリス様もそこの良さは分かんないんだろうな。
今日もさ、セリス様の笑い声、楽しそうでよかった。気持ちがいい、この人の声は。俺は好きだよ」
「そうか」
確かに、勝鬨のセリスの声はやけに素直に耳に届いた。胸がスッとする、昂らせる声である。同意を伝えるのも何だか癪でグッとほとんど空の杯をあおった。
「ああ、だから一緒にセリス様を運ぶの手伝ってくれ」
何がだからだ、と笑って、アレスはデルムッドの肩をどついた。わざとらしくデルムッドは痛がって、ああもう俺の肩は折れた、これじゃセリス様を運ぶなんてできないやと楽しそうである。
「うるさい、行くならとっとと行くぞ」
「はいはい、アレスは右肩な」
デルムッドはそこまで身長が変わらないからまだいいか。セリスの部屋まではどのくらいの距離だろう。後でたっぷりと恩を売ってやらねばならない。
――と思ったが二人でセリスの両腕を肩に担ぐと、身長差もあいまってどうにも具合が悪い。そもそも対象が既に自分の足で立とうとしない。何で身長が低いんだと悪態をつくアレスにすかさずデルムッドが気にしているんだから止めてあげろとフォローにならないことを口走る。これは二人で分担する方が馬鹿げている、背負うか担ぐかどちらがやるかひとしきりもめて、結局じゃんけんでアレスがセリスを肩に担いだ。
二度と一緒に酒など飲むものか。
おわり
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