剣戟の音が響く中庭は人だかりができていた。澄んだ音で少女が下から斬りつければ、男は上段からそれを防ぐ。
全く決着のつきそうにない見事な攻防は観客をどよめかせ、一挙一動に息をのませた。
飛び散る汗が、午後の穏やかな日差しに煌めく。軽やかに楽しげに剣技を競い合う二人の息が切れる様子は全くなかった。男のほうが体力に自信はあるのだろうが、普段は騎乗で戦っている。今日は地に足をつけての模擬戦でどちらかといえば不得手といえよう。
反対に少女はそれが得手だが、男よりも持久力にかける。素早く、体重を感じさせぬ動きは見事なものだ。隙を見て秘技でも出れば決着はあっという間につくのだろうが、今の段階では手練れのシャナンと言えど、どちらが勝利するかを判断することは難しかった。
何よりも楽しそうに戦っている。
勝敗を勝手に決めるのは野暮ではないかと、シャナンは二階の渡り廊下から眼下を眺めた。
すこし中庭からは離れているものの、高さがある分十分に見渡せる。
鋭い音で今度はラクチェがアレスの一撃を伏せぐ。
睨むように相手を見つめる大きな紫の瞳が綺麗だと、場違いにシャナンは見惚れていた。
「お近くでみないのですか?」
吹き抜ける風に乱された髪を整えると、背後から声がかかった。
「ラクチェ、あんなにシャナン様の応援を欲しがっていましたのに」
「お前こそ。いつももっとそばにいるだろう」
シャナンはため息をついて振り返った。住居棟からやってきたラナは、綺麗に折り目のついた手巾を何枚か持っている。どうせこれからラクチェのところに行くのだろう。
にっこりと微笑んで、ゆっくりと首を振る。
「忘れ物を取りに来ました。すぐに行きます」
その笑顔に、少しだけシャナンはたじろいでしまう。育てたといってもいいほどに、それこそ生まれたときから面倒を見てきた少女だが、どうにもシャナンはラナのことが少しだけ苦手だ。なんとなく母親を思い出させるのだ。
シャナンは、エーディンに頭が上がらなかった。
立派な大人に育ち切る前に、何かと反発をして困らせたことが原因なのだろうか。あの美しく、悟ったような困ったような笑顔で微笑まれるとどうにも逆らえない。
同じ笑顔なのだ、ラナは。
「今日はいつもの訓練とは別だと聞いていないシャナン様ではないんでしょう。きちんと応援してくださるようにお願いした、ってラクチェ何度も言ってましたわ。シャナン様に、どうしても側で応援してほしいんだって」
確かにシャナンはそれを何度も聞いた。何日も前から、耳にタコができるほどにねだられた。
これまでに何度も、解放軍の名だたる聖戦士の末裔と戦って、そして勝利をもぎ取ってきたラクチェである。なんだかんだと都合がつかず、毎度応援することはなかったり。
今日もそれと同じだと、言い張りたいシャナンがいる。いつもねだられてはいたが、叶わなかった。だがそれで納得していたはずだ。現に今日も、シャナンは暇ではない。
今回が最後の一人、魔剣ミストルティンを操るアレスとの対戦だというのはもちろん把握している。
もちろん、剣の師としては応援している。近くでなくとも。勝利は常に願っている。
「ラクチェは十分強い、わたしの応援などなくとも、な」
「……今日が、このアレスとの一戦に勝つことが、ラクチェにとってどれだけ大切なのか、知ってらっしゃるんでしょう。シャナン様」
ラナは手巾を抱えたまま、器用に胸の前で両手を汲む。軽やかに瞼を閉じた。
「――さあな」
ひときわ大きな剣劇が響いて、観戦者がどよめいた。シャナンは髪が乱れるのも構わず、顔をそむける。その耳にはどよめきも剣戟も届いてはいなかった。この一戦がはじまる前の、ラクチェの声がこだましている。
『アレスに勝ったら、きちんというの』
激励の一言でもかけようかと、ラクチェの部屋に足を向ける途中だった。普段は人気のないはずの部屋から声がした。ふと、足を止めてしまう。
『あたし、シャナン様の隣に並び立てるようになりましたって。もう足手まといにはなりません、ずっとお傍にいたいです。お慕いしています。好きですって――』
ええ、そうね。同意する声はラナのものだった。結果盗み聞きになってしまったものを、慌てて気配を消してその場を去ったが、どうやらラナには気が付かれていたようだ。
シャナンとて、長年一緒にいるラクチェの思いに一切気が付かなかったわけではない。人に言われるほどに朴念仁ではないし、初心でもない。
単に、必死に目を背けていただけだ。そのことに、気が付かされた。
幼い、妹のような存在だったはずなのだ。だって自分の子供の用に世話をした。守り抜き、育て上げ、鍛えぬいた少女なのだ。成長を共に祝いたいと思う相手で、信頼し、唯一肩を並べて戦える女性だと認めていた。ラクチェだけだと、わかっていた。
しかし、それ以上へと踏み出すことはシャナンにはできなかった。
「シャナン様」
ラナの鋭い声が、シャナンを現実に連れ戻す。
ハッと視線を合わせれば、またあの笑顔がシャナンを見つめていた。見透かされているようで、年下、育て上げた少女にもかかわらず、シャナンは気おされてしまう。
ラナは手すりに片手で触れ、中庭を見下ろした。自然な動作に誘導されるように、シャナンも中庭へ目を向ける。
「ラクチェは、勝ちますわ」
これまでにない強く鋭い音が響いた。一瞬の静寂の後にどよめきと歓声が沸き上がる。一方の名を皆が叫ぶ。
決着がついたのだ。
「ラクチェ!」
ラナは手巾を抱えて素早く走っていった。足音がだんだんと遠ざかる。
シャナンは観衆の歓声を背に、こぶしを握った。
勝者を褒め称える声は止むことがない。しかしシャナンには、勝者に向ける言葉が浮かばなかった。
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