嫌いじゃなくて


 聞き間違えることのない笑い声が風と共に下ってきて、顔を上げると曲がりくねる階段をパティとラナが降りてくる。これから城下町にでも繰り出すのか、二人ともいつもよりも少し華やかな色の服を着ている。
 遊びに行くにはちょうどいい午後だ、風は少しあるがまだ温かく肌に優しい。日差しも心なしかゆっくりと降り注ぐような気がする。それでも体を動かすと自然と汗が噴き出て、ファバルは服の裾で額に浮かぶ汗をぬぐった。
「あれ、お兄ちゃんだぁ! なにやってるの?」
 階段を降り切ろうかというパティが、最後の数段をぴょんと飛び降りてファバルの背中に抱き付いてくる。衝撃を受け止めきれずたたらを踏んだ。
「別に、何ってわけじゃねぇよ。雑用。飼料運んでんだ」
 背中に抱き付くパティを振り払って、ファバルは足元に積み重ねた麻袋を示す。仲いいわねと言いたげなラナの笑い声が聞こえて、何というわけではないがファバルは少し頬を赤らめた。
「馬の? ふぅん、お兄ちゃんも大変ねぇ」
 特に興味はないといった素振りで、兄の様子に気がつかないパティは相槌を打った。代わりにラナが、手に持った小さな麦わら帽をかぶって問いかける。フワフワの髪の毛が麦わらの下でラナの頬に優しく触れる。
「ファバル、今日は休みじゃないの」
「休みだったんだけどよ、特にやることもなかったから」
 体を怠けさせるのは性に合わないと、自ら協力を申し出たのだ。これが初めてではないので誰かしらから仕事を分けてもらえる。いつぞやはラナにも豆の鞘取りを頼まれたこともあった。あの時は喜んで行ったものだが、できれば今日のような肉体労働のほうがファバルは得意だ。
「ふうん……お兄ちゃんって、好きよねぇ」
 呆れ口調でパティが頭の上で両手を組む。その手の傍に、珍しくリボンが結ばれている。
「あたしだったら休みの日まで働こうだなんて思えないわぁ」
「休んじゃいるけどさ、一日グータラしてんのは性に合わないし」
「遊びに行けばいいじゃん」
 今度はファバルが肩をすくめた。
「欲しいもんなんか特にないよ」
「もー、お兄ちゃんってばああいえばこういう!」
 怒りにも似た不満がパティの口から洩れたが、休まな過ぎるという不満は初めてでファバルは頬が緩んだ。パティにばれたらまた何か言われそうなので咳払いでごまかす。そっぽを向いてみると、ラナと目が合った。ラナがにっこりと口の端をあげる。
 しかし大してほしいものがないのも本当だし、武器はいま状態がいい。修理というわけでもなく、イチイバルを持つ身としてはそれ以上の武器を望むわけもない。
 食べるものや着るものに対する欲望も大してないことだし。唯一の楽しみともいえる闘技場もこの間制覇してしまい、やんわりと来場を断られている。
「私たち、これから闘技場に行くの!」
 ラナは日差しに背を向けてファバルの周りをまわった。スカートがふわりと膨らみ、丸く影を作る。
「出場?」
「応援! リーンに教えてもらったのよ、今日はアレスさんが出るのよ」
「さすがにお兄ちゃんもあたしたちがこんな余所行きの格好で戦いに行くわけないってわかってるでしょう!」
「ふうん、応援ねぇ」
 ファバルは改めて二人の服を眺める。たしかに華やかで余所行きの服だし、ラナはいつものように動きにくそうなワンピースだ。とはいえファバルも本当に二人が出場するなどと思っていたわけではない。
「二人とも、俺の出番の時に応援に来てないじゃないか」
 口をすぼめると、パティの大きな目が猫のように細くなった。ぴょんと身軽に跳ね、ファバルを真下から見上げた。
「へぇぇ、お兄ちゃん、応援来てほしかったんだぁ!」
「は、いや、そんなわけじゃ」
「お兄ちゃん、あたしとラナに応援してほしかったのねぇ。可愛いところあるじゃん」
「ばっか、そういうわけじゃないけどよ」
 ファバルは自分の頭をかいた。パティの頭をぐしゃぐしゃにしてやろうと思ったのだが、さすがにここまできれいに整えられた頭では、余計な手を出したら怒られるだけでは済まされない。
「あーなんだ、……その」
「いいじゃん、認めちゃいなよ! 寂しいんでしょ~」
 意外な兄の姿にパティは相変わらず意地悪な笑い顔。こんな妹に育つ予定ではなかったと、あまり歳は変わらないのだが考えてしまうのは兄心である。兄の欲目でかわいらしい妹なのだが、いじられるのにはあまり慣れていないためどうしていいかわからぬところである。
「ラナはまだしも、パティは見に来たってよかったろう」
「だってぇ、お兄ちゃん出たって連戦連勝に決まってるでしょう! あんまり面白味ないしぃ」
 おいおい、アレスは負けるのか、と声には出さずに苦笑い。まさかあのアレスがそんなことはないだろうが、なかなか抜けているところも多い男なので、パティたちからそう評価されているとしたら今度アレスの前で大笑いしてしまいそうだ。
 ごまかすようにパティはファバルのもとを離れ、ラナの傍に寄った。ラナ、やっぱりそのリボン形悪くない、と桃色のワンピースの襟元についたリボンをいじる。
 ありがとう、とラナは少しくすぐったそうに身をよじって答えた。
「それにぃ、万が一お兄ちゃんが負けるの見たくないし」
「私、ファバルが闘技場に出ていたなんて知らなかった」
 ラナは先ほどのほほえみはどこぞに置きやったように、唇を突き出して不満顔。
「知ってたら見に行ったわよ、だって大切な従兄じゃない」
 パティのリボンも結びなおしてあげるね、別にそんな乱れてないけど。そういってラナは半ば強引にパティに背を向かせ、髪のリボンを結びなおす。上、横、と素早くリボンが動き、あっという間にかわいらしくふんわりとパティの頭をかわいらしく飾る。
「いや、うん、えっと」
 パティとラナからそれぞれの理由を聞かされて、ファバルは返答に困ってしまった。気恥ずかしいというか、申し訳ないというか、表現できない感情でいっぱいになってしまう。
「気を付けろよ、闘技場。熱入ってるやつも多いし」
 ありきたりな言葉でごまかした。闘技場に熱狂的な輩や荒くれ者が多いのは本当のことである、しかしラナとパティもこれが初めてというわけでもなく、何とも浮かれた言葉になってしまった。
「わかってるわよ! 大丈夫、あたしとラナだもん」
「だから心配なんだよ」
「なぁにそれ、あたしとラナが可愛いってこと?」
 ぐ、と再び言葉に詰まってしまった。思わず身をのけぞらせる。
 ふふ、とラナの言葉にならない笑い声が聞こえる。
「ああそうだよ、可愛い可愛い! 可愛いからさっさと行ってきな、アレスの試合始まっちまうぞ」
 ファバルは積んでいた麻袋にわざとらしく手をかけた。こちらも仕事をするのだ、という様子を出してみる、ただのパフォーマンスだ。これ以上運ぶ先はないのだから。
「はぁい、行ってきます! 困ったことあったらちゃぁんとお兄ちゃんを呼ぶから、助けに来てよね!」
 パティは調子のいいことを言い、ラナはただ笑って手を振った。ファバルも手を振ろうとしたが、あいにく両手は荷物でふさがってしまっている。
「闘技場までどんだけ離れてると思ってんだよ」
「大丈夫、可愛いあたしたちの声だもんね!」
 高い笑い声が響く。気を付けろよ、と触れない手の代わりに大きく声をかけた。はぁい、とパティとラナ二人の声が混ざって、空に解けた。


2019/05/01

2016/11/13の作品です

詠憧さんの今日の組み合わせは
ファバル×ラナで
お題は「嫌いじゃなくて」です